2022.9/03
今日は、大槻の健康診断/半日ドッグで・・津山中央病院(診療所は休診にさせてもらいました)。
立派な建物。
で、去年もそうでしたが、院内レストランの食事券付き。
終了時には・・・・雨が。
さて・・今日は、また別の音楽ユニット Happiness Y and Berry with TCM の練習(本番は9/19)・・で、そこから松江に・・
【毎日新聞 2013年11月23日 地方版】
【県埋蔵文化財調査センターは21日、「魚見塚古墳」(松江市朝酌町)について、出土した須恵器から古墳時代後期の6世紀後半に築造されたことが判明したと発表した。当時、橋北地域を統括していた有力首長の墓と考えられるという。】
【魚見塚古墳は全長約62ートルの前方後円墳。昨年から調査を続けてきた。後円部の西側では、幅約3メートルの溝を発見し、中から祭りに使われたとみられる須恵器の高坏(たかつき)などが出土した。古墳築造時に何らかの施設があったと推測されるという。後円部と前方部には築造以前の表土も確認され、丘陵を削って土を盛っている墳丘の構造も判明。墳丘斜面からは「出雲型子持壺」と呼ばれる須恵器も出土した。】
【また、同古墳は一般的に見られる周溝が存在せず、埴輪(はにわ)が出土していないことから、橋北地域の特有の古墳文化を伝えるという。】
草茫々で・・・近付けませんでした。
その近くに多賀神社~さらに宍道湖から中海への大橋川の支流・朝酌川の岸辺に・・矢田龍宮神~平成に建立との吉~この石碑だけですが。
そして、山側に多賀神社。
【多賀神社(たがじんじゃ)は、島根県松江市朝酌町にある神社である。大橋川のほとりに鎮座している。神在祭が行われる出雲の神社の一つである。】
【『出雲国風土記』島根郡条に記載されている不在神祇官社の「朝酌下社」に比定される。江戸時代に入り『出雲風土記鈔』では「多賀大明神」、『雲陽誌』では「多賀明神」として記載されている。】
【明治41年(1908年)に朝酌上神社と福富神社を合祀した。】
朝酌側のすぐ上・・。
そして、もう少し中海側・・・朝酌川が大橋川に合流して・・矢田の渡し(矢田は、さっきの龍宮も)
大人40円です・・・。でも
【矢田の渡し(やだのわたし)は、島根県松江市内、大橋川の渡し船。松江市朝酌町(あさくみちょう、左岸)と矢田町(やだちょう、右岸)を結んでいるが、2020年(令和2年)10月19日以降、休航している。再開時期は未定。乗船は有料であった。2014年(平成26年)6月時点で、矢田渡船観光事業組合が松江市から補助金を受けて運航していた[1]。現在は休航している。運航していた頃は平日の午前7時〜9時のみ、所要時間約1分、料金大人40円、自転車10円[1]。船は左岸(北側)に待機していて、右岸(南側)からの利用者は、渡し場にある赤色の回転灯を点けて対岸の渡し船を呼ぶ仕組みだった。】出雲国風土記によれば、奈良時代には附近に朝酌促戸渡(あさくみのせとのわたり)があったという[2]。これが起源とすれば、矢田の渡しには千数百年の歴史があることになる。1970年代には年間5万人以上の利用があった[1]。しかし、1981年に上流にくにびき大橋が開通、1989年に下流に中海大橋が開通、2012年にくにびき大橋と矢田の渡しの間に松江だんだん道路の縁結び大橋が開通したため、利用者が激減した[1]。縁結び大橋の開通後、夕方の運航は取り止めになった。】
練習は、15:30くらいから・・・結局、.19:30くらいまで・・・みっちり(明日の、Berry with TCMでのcafe & live,
MUSIKさんの練習も1回通りしました)した後・・・YKさんの要望で、なんか、歌系のお仲間の方の松江の居酒屋(その奥の、LIVE bar/Music
pubも同経営らしい)。
ほんとう・・おつまみ的な・・
松江なので・・シジミのお味噌汁も。
お土産も頂戴しました・・・さて、帰りましょう! |