2022.8/06
今日も暑そうな・・・朝の通勤時。
でも・・ちょっと雲が厚いかな?
郵便局経由で・・資料館経由で・・・午前は診療。

8/13の境港の「夢みなと公園」でのLIVE・・・SOLOだけの予定だったのですが、AoNoriの「Ao」さん、急遽、ご欠席で、代役のピアノ伴奏とコーラス・・練習に倉敷へ。
総社まで降りてきて・・・高梁川沿い・・あれ、こんな処に神社があったっけで、「井神社」「兼康神社」です。
草叢に・青大将か? 蛇が居てびっくり(そういえば、一昨日の美甘の河川敷でも、青大将を見ました)。
【本神社の創建年月日は不詳ではあるが、延喜式上に備中国堰溝料1万7千束とあり、高梁川流域では最大規模の井堰を守護される井神社は、当時既に存在していた。】
【安徳天皇寿永元年(1182)に備中国妹尾郷(岡山市妹尾)の武将、妹尾兼康が自分の領地に水を引くために、総社市井尻野六本柳にあった高梁川の堰を200メートルほど上流の湛井(たたい)に移し、樋門を設け、妹尾までの農業用水路を構築した。】
【現在は湛井12カ郷用水の名前で親しまれており、総社から児島湖に至る約3800ヘクタールの水田を灌漑する西日本有数の農業用水路である。】
【工事であった堰と用水路の完成に感謝して、妹尾兼康は井神社の社地を湛井堰(たたいせき)の近くに移し、新しい社殿を建立し、神社の祭典、維持、運営について詳細な掟を残した。】
【これにより、井神社の氏子は、地元氏子の外に、農業用水を利用する氏子「水氏子」で構成されている。妹尾兼康の偉業を讃え、恩恵に感謝して、井神社、兼康神社として合わせ祀るようになった。】
【このような経緯により、毎年6月1日には水氏子関係者による「初堰祭」を斎行し、当年の豊かな水の恵み、五穀豊穣、家内安全を祈願した後に高梁川から取水を始める。】

さて、倉敷で練習しました(頂き物)
  
そして・・・倉敷駅近くで・・練習の打ち上げ(?)
駅前の居酒屋さんです。
いろいろ・・お腹いっぱい。
食べました・・で、新庄村に戻りました。