2022.7/09
ユニット:BErry with TCMの練習で・・・松江のカラオケ店~7/24&30に花回廊と海あに(米子)でLIVEです。
さて、練習開始時間は、診療終了から・・でも、出発の時間に若干の余裕で設定しますので・・・そうなると、今回は、すっと出れたので、途中で余裕がありました。
平濱八幡宮・武内神社です(同じ処に二つの名称)・・・・で、石段に登る前の・・・まずは、稲荷神社。
雨の後で、空気も少し密度が濃いです。
南側から石段を登っているのですが、さっきの鳥居は「平濱八幡宮」。
【平濱八幡宮(ひらはまはちまんぐう)は、島根県松江市にある神社である。旧社格は県社。出雲國神仏霊場第13番。】
【八幡神として応神天皇・仲哀天皇・神功皇后を祀る。】
【創建年代は不詳であるが、天永2年(1111年)、陰陽寮で当社の遷宮の日時を占ったという記録があり、それ以前には創建されていたことになる。出雲国最古の八幡宮とされる。この地は京都の石清水八幡宮の社領であり、当社は「平浜別宮」と呼ばれ、石清水八幡宮の社家の支流が奉斎していた。】
【戦国時代には亀井氏、尼子氏、毛利氏によって社殿が造営された。江戸時代には松江藩主が直轄していた。】
【昭和17年(1942年)に県社に列格した。】
【境内社・武内神社(たけうちじんじゃ)は武内宿禰を祭神とし、「武内さん」の愛称で呼ばれ、武内宿禰が長命であったことから延命長寿の神として信仰を集めている。】
だるまさんも・・いらっしゃいました。
竹内神社は境内社ではあるのですね。
山車の倉庫もありました。
裏山も森。
湿っています。
結界の様に・・・・。
さて・・・境内の東側へ・・・。
出雲地域ですので・・やっぱり立派な拝殿・本殿です。
東側の方には・・・武内神社の鳥居もありました。
紫陽花
!
そして・・・遠くに説明板は・・・これは石棺。
この地域も、こういったものは、本当に多いですよね。神話の世界。
さて、戻ってきました(暑くなってきました)・・・で、遠くの一の鳥居(?)まで。
途中の花々も。
この辺り一帯は・・・やはり風土記の丘です。
夏です。
もう少しだけ時間がありますので・・・まずは、国分尼寺跡・・・ここれ良いのかなぁ?
案内板もないけれど・・・・。
そして、国分寺跡・・ここは、広大な広さで、遺構になっています。青空も見えて・・・暑くなってきました。北側へ、ずんずんと
。【古代出雲の政治文化の中心であった意宇(いう)平野の北東部に位置する低丘陵に造られている。】
【昭和30年(1955)と31年の石田茂作博士(当時奈良国立博物館長)の調査やその後の調査に基づいて、現在は八雲立つ風土記の丘の主要な史跡の一つとして復元整備されている。】
【建物配置は南から南門、中門、金堂、講堂、僧房が一直線にならび、中門から講堂にとりつくコの字の回廊があり、金堂、講堂、僧房の間はそれぞれ瓦敷きの道で結ばれる。】
【塔は中門と南門の中間東側にある。南門から南へは幅6尺の石敷道があった。出土品には瓦のほか須恵器、硯(すずり)などがある。墨書土器に西寺とあるものがあり、俗にはここを西寺と呼んでいたようである。】
【出雲国分寺から東へ4町(約420m)離れたところに1町四方の寺域をもつ出雲国分尼寺(こくぶんにじ)跡があった。ここを東寺といったのでもあろうか。出土品には国分寺と同類の瓦のほか、ヘラ書もある平瓦や尼寺にゆかりのある墨書土器などがある。】
【また、出雲国分尼寺跡に西接する低丘陵南麓に国分寺と尼寺で使用された瓦を焼いた窯跡がある。瓦は新羅(しらぎ)の系統をひく、ていねいなつくりのものである。】
さっきの周辺の看板では、この西南には、もっと広大な遺構も・・・
さて・・そろそろ、カラオケ店へ向かいましょう。
練習・・・終了・・もう夕食の時間なので・・道路挟んで向かい側の・・・トマト&オニオン。
石焼煮込みデミハンバーグとサラダ。セットでスープと黒カレー。お腹一杯でも、最後に、チョコバナナパフェ。美味しい。
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