2022.7/07
快晴の朝・・あら、七夕?
今日の午後は、津山の美容院へ・・・そして、HARD-OFFとかも寄ったので、帰路で、どこか・・・旧久米町から美咲町・・旭町の方へ向かう県道429を西南へ・・「少彦名神社」
【健康の神・医薬の神として知られる神社です。日本の薬祖神である少彦名命(すくなひこなのみこと)】
住所としては、「津山市油木北1608」~久米町は、津山に入ったですものね。
ハグロトンボですが、別名は神様トンボとか極楽トンボとからしいです。
この辺り・・なんだか、開かれた拝殿が多いですね。
本殿の屋根は、急峻でとがっています。
いくつかの摂社も・・あり。
【当社は古くは「赤子の宮」、「赤子大明神」、「児(ちご)大明神」、「児の宮」、「児神社」等と呼ばれていたが明治6年(1873)2月6日、北条県から「油木神社」と改称され、更に同10年現在の少彦名神社と改められたものであり、少彦名命を主神とする油木北、油木上(久米町)、油木北、油木南(旭町)の4大字の産土神である。】
【また、宝暦5年(1755)の「油木北村神社仏堂由緒書上帳」の中に次の一節がある。】
【一、本社ハ保元干支月日不詳当倭文荘地頭職盛六郎ノ崇敬ニヨリ本殿造営ノ寄進アリ但棟札存在セサルモ古老ノ口碑ニ伝アリ、又社記ニ古書ニ見ユル旨登載ス只惜ムラクハ其書名ヲ欠ク】
【一、本社は倭文五社ノ一ニシテ当荘ハ古昔堀川院御宇始テ 加茂神領トナリ爾来毎年神説ヲ輪シ以テ競馬会ニ備フ云々又五社ヲ以テ加茂ニ勧請ス云々又五社トモ古昔各社領アリシコト作陽誌ニ見エタレバ当時皇室又ハ公卿武門武将等ノ崇敬アリシコトヲ推測スルニ足ル】
【一、本社創立又ハ主祭タル少彦名神勧請年月日不詳ナレトモ合祀タル伊邪那岐神、伊邪那美神、大己貴ノ三座ハ保元年間当大字ニ移住シタル倭文荘ノ地頭職森六郎コレヲ勧請ス、とあって由緒の大要を知ることができるのである。】
小さな仲間も見つけました。
さて、お隣に・・岩滝神社/輿渕神社 ~ よく見るとこちらこそが、「赤子の宮」っていうか、祠の左右は、木で、陰陽っていうのか、雌雄っていうのか・・・です。
こういった似せ方は、いろんな処でもありますし・・。
なんか、でも、ちょっと気恥ずかしい。
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