2022.6/23
蒸し暑い一日・・車の用事で、津山へ・・・その後、今度日曜に倉敷に戻るのに・・・津山的なお土産を捜して、観光センターへ。
ごんご君(河童君)だっけ?

そこから美咲町(旧柵原町)へ向かいましたが、途中で合歓の木
少し盛りは過ぎていますかしら?
田園風景の中、数本の木がありました。

【1955年(昭和30年)1月1日 - 久米郡吉岡村、勝田郡飯岡村・南和気村・北和気村の4村が合併し町制を施行、久米郡柵原町が発足。2005年(平成17年)3月22日 - 久米郡中央町・旭町との対等合併により美咲町となる。】
この・・・北和気村の所にやってきまして・・・・北和気美術館とのこと・・【資料館の中で百々人形の制作スペースがあり、団体の方の研修や団体旅行の方が「絵付け体験」をしに来られます。】~これが窓から覗いているのかな?
旧村時代かな、小学校の跡です。

そして・・・まずは、大宮神社。
曇り空で蒸し暑い中でしたけれど。
なかなか立派な神社です。
美咲町百々・・って所の名前でもあるみたいです。
【本神社の創建は第43代元明天皇の御宇(708)と伝えられている。和気郷の旧社で和名抄所載神社の一つで、古くは御本殿が3間4面あったと舊記に記されている。】
【慶長年間に火災に遭い、その時に仮に建てた御本殿が現在まで残っていたが老朽化が進み、平成9年から3ヶ年かけて募財を募り改築した。】
【明和4年5月但州出石城主仙石越前守の祈願所となり、り、銀20枚の寄進があった。】
【元弘2年(1332)3月後醍醐天皇が隠岐に流され遷幸される時、当社の境内にあたかも爛漫と咲いた桜の花をご覧になって暫しの間休憩され旅の疲れを癒され、お喜びになったと伝えられている。】
【その時の大木が安政5年の暴風で倒れ明治39年に屋舎を建てて「大御幸桜」として保存している。】
【御祭神は猿田彦大神で天孫降臨にあたり四方八方に分岐する道を守り教える神である。現代では交通安全の神としてまた、人の運命を開く神、全ての事を良き方に導く「みちびきの神」として信仰を集めている。】
これが大御幸櫻。
良い神社で、摂社も多く・・・味わい深いものがありました。

さて・・MAPでは、近くに寺院も・・・。
あっ、鷺

この辺りは・・・訪れたことが、無かったですね。

華蔵寺です。
立派な仁王像!
「百々」って「どうどう」って読むそうですが・・・。
【第十六番 高貴山自性院 華蔵寺】
【かわいらしいお地蔵さんに迎えられ、百観音のお砂踏みをしながら蓮の台に運ばれていきます。仁王さまの厳しい眼差しに身を引き締めながら山門(鶴山城より移築)をくぐると、十二支八体仏のご本尊さまと連山の眩しい緑をバックに、燃えんばかりと咲き誇る霧島つつじの大木にまず目を奪われます。】
【華蔵寺は、弘仁六年(815)弘法大師の開かれた高貴山宗傳寺が前身となります。宗傳寺は文安元年(1444)尼子の兵火に罹り堂塔悉く焼失しましたが、唯 塔頭「自性院」のみ南麓に下りて草庵を結び、難を免れた聖観世音菩薩を本尊とし、高貴山華蔵寺と号して宗傳寺の法灯を連綿と継承しております。】
【本堂には美作結縁灌頂にてご縁を結んでいただいた両界曼荼羅がお祀りされております。】
【本堂をあとに振り返ると泉水には悠々と泳ぐ大きな錦鯉たち...奥には本格的なお茶室が静かにたたずんでいます。】
【お大師さまのお招きに歩みを裏山へ進めると、四国八十八ヶ所お砂踏み霊場が続いており、山頂には阿弥陀さま(第十五番宗傳寺)がお待ちになっておられます。(文:『高野山真言宗美作八十八ヶ所霊場』より)】
そして、四国八十八箇所巡りが・・・小さなお地蔵様の祠が続いています(お砂踏み霊場って言うのかしら?)
ついつい・・上がってしまいます。
そういえば・・MAPでも山の上の方に・・宗傳寺さんって載っていましたね。
少し山登り的ですが・・・。
紫陽花も・・あって。
次々と現れてきますので・・ついつい、先へ先へと。
まだまだだよね。
同じような写真に見えますけれど・・・。
そして・・・ここが十五番で・・・宗傳寺
なるほど、立派ですね。
もう少し奥へ行けるみたい・・。
阿弥陀堂がありました。
そして・・・お堂も・・周囲に・・。
さて、別の道で・・降りると、八十八になるかな?
降りて行けますね。
くねくねと・・・降ります。
2体・・・祠/堂が、無い・・お地蔵さまが・・。
八十八番まで到着しました。
少し晴れ間が見えてきました。
小学校のグランド跡の様です。

さて・・・戻りましょう。