2022.5/19
今日は、髪の用事で・・・津山へ。その後、郵便局経由で、少し時間もあるし、どうしようかなってことで。。。。総社宮に行ってみよう!
【主祭神:大己貴命 (おおなむちのみこと)】
【相殿神:鏡作命 (かがみつくりのみこと) - 中山神社(美作国一宮)祭神】
【相殿神:鵜茅葺不合命 (うがやふきあえずのみこと) - 高野神社(美作国二宮)祭神】
【相殿神:美作国内の神】
【歴史:古代、国司は各国内の全ての神社を一宮から順に巡拝していた。】
【これを効率化するため、各国の国府近くに国内の神を合祀した総社を設け、まとめて祭祀を行うようになった。】
あら、イソヒヨドリ!
【当社はそのうちの美作国の総社にあたる。】
【社伝によれば、欽明天皇25年(564年?)に現在地より約1km西にある本館(ほんだて)に大己貴命を祀ったのが始まりという。】
【ただしその根拠は不明で、室町時代末期までの当社の沿革は明らかでない。】
【奈良時代初期の和銅6年(713年)に備前国北部6郡を分割し美作国が設けられ、和銅7年(714年)には国府が置かれたと伝える。】
【その後、美作国司により現在の亀甲山に遷座するとともに、中山神社・高野神社など美作国65郷全てを合祀し美作国総社と定められたという。】
【鎌倉時代に入り国府は廃れたが、当社は美作三大社の一社として崇敬されたと伝える。】
【確かな文献により当社の沿革が明らかとなるのは、永禄12年(1569年)、当地に進出してきた毛利元就により所領が安堵されて以降である。】
【その後は領主からの崇敬は篤く、江戸時代には津山藩主の森氏・松平氏から社領の寄進も受けた。】
【明治維新後、近代社格制度において県社に列したほか、神饌幣帛料供進神社に指定された。】
さて、この辺りは、遺跡・史跡が多いとのことで、もう少しウロウロ。
国府台/臺寺・・・さんが、国府跡の様です。
立派な案内板が。
そして・・・乱堂の五輪塔~どこかのお墓の敷地内で・・ひっそりと。
慈福寺跡を探しましたが、はっきりせず・・・その石造群は・・多分、これかな?
この辺りは、そこそこに田園風景。
千年の道ってところ(多分)から・・大鐘楼跡を探したのですが・・お墓は多いのですが・・
デーサービスがあって・・・鐘楼はありました。
花々も
そこから中国縦貫を潜ったところに・・・こんな・・祠っていうのか、なんていうのか?
外は、可愛く。
そして・・スーパーのマルイ総社店へ。
ここ・・「かたみ」くん。