2022.3/05
今朝も、霜の朝。
毎日、少しずつ異なる・・・アートです。
通勤時・・・日当りで、残った雪の縞模様と、溶けた畔の縞模様と。
今日は・・・Dayghter and Wife と美作市中河内の「里山カフェtay」さん。
ボクはピッツァ、二人はアボガドベースで、パスタ(トマトソースとクリームソース)・・・daughter絶賛で、これまで食べたパスタのTHE BESTとのこと。ボクはアイスクリーム、二人は、カボチャのチーズケーキで、これらも絶品。
で、結局、手違いで・・・ボクは、倉敷で書類を受け取ることになって・・・どこへ行こうって、周匝茶臼山城跡が国道374号線から見えて、今日は天気も良いしってことで。
最初、大仙山城跡の方へ入って行ったのですが、もう少しの所で、一度、Uターン・・・今日は、まん延防止等重点措置で、車の乗り入れはできなくなっていて、また、天守閣再建の所は、入れなさそうですが、徒歩してみました。
なんと、池田家(岡山藩主)の墓所があるのですね。
さて、青空に天守が見えてきましたが・・・門は閉ざされていました。
周匝茶臼山城(すさいちゃうすやまじょう)
【築城時期は不明だが、天文年間(1532年 - 1555年)初め頃とされている。】
【茶臼山(標高約180メートル)は、吉井川本流と吉野川の合流地点である。備前東部と美作東部の接点であり、周匝平野、飯岡平野を一望できる備前北東部の要衝であった。また浦上宗景の拠る天神山城の北7キロ程の所にあり、天神山城の上流を守る拠点としての存在価値が高かった。】

【城郭の形態は連郭式と呼ばれ、2つの尾根上に総延長約800メートルにわたって土壇築成と削り出しによって城郭施設が構築されており、本丸は東南に向って広い楕円形をなし、二の丸はその西続きの山頂に、他に出丸・太鼓丸・空堀・井戸・小池・土塁などの跡が遺り、当時として相当の防備を持つ代表的な山城である。現在も比較的に良好な状態で遺存している城址である。】
【1579年(天正7年) - 宇喜多氏の美作侵攻により、落城。】
池田家の墓所は・・・和気町にも和意谷ってあって・・・大学院の頃だったか、行った記憶が・・。
ここも立派な墓所です、東西に、並んでいます。
青空も気持ち良い。
 
で、せっかく、この辺りから倉敷に戻るので・・・「日本一たい焼」買おう!!
倉敷へ。。。daughter作の生チョコタルト!!美味なり

そして、戻ってきて・・・久世の旧遷喬小学校と、エスパスの夜景で休憩。
幻想的です。
アートな猪!
さて・・・新庄村まで戻りましょう!