2021.11/13
今日は土曜日で、午前は診療・・・で、朝は、やっぱり切りでした。
ほら・・・こんなに

そして、きちんと診療をして。。官舎に戻る時に・・まだ、紅葉も残っていますね。

今日は・・・新見美術館の企画展「時代を彩った日本画銘品展」に行きますが・・明地峠で大山。
冠雪が美しい。

さぁ、新見美術館に到着しました。
落葉で一杯・・・秋も深まる頃。
ここの斜面の庭も・・・季節ごとの彩が良いですね。
盆地なので・・借景の様です。
テーブルの上にまで・・・・落葉で埋まっています。
さて・・展示を観ましょう! (写真撮影はNGです)。
冊子も購入しました。
さて・・・・QRコードからのイヤホンで聴く絵画説明が10作品くらい・・・これも楽しみました。
階段の方から降りると・・ここでも、紅葉が素晴らしく・・陽射しに輝いていました。
美しい・・・背景も山並み。
白い壁にマッチしています。
ぐるっと色付きに誘われてみましょう。
満喫ですよ。
そして、降りていきます。
で・・・駐車場に車を停めさせてもらって・・・沢山歩きましょう。

はい・・・船川八幡宮です。
立派な鳥居。
【当社は天永年間に、京都山城国男山八幡宮(石清水八幡宮)に総代を派遣し、新見村今市(現在の新見宮地町)へ勧請し、惣社として創建されたと伝承されている。】
【応永17年11月7日(室町時代)社殿が炎上し、各書記、古文書、刀剣類、重宝など全て焼失した。】
【古文書によれば、応永21年3月、平信濃入道が、社殿を再建した。】
【伝承によると、永禄年間(室町時代後期)新見村鳶ヶ巣城主、徳光兵庫頭が、氏神として崇敬して居たが、神夢の啓示により、備中松山(高梁市)へ舟路を開鑿し、舟揖の便を得たのを感謝して、舩川の山号を奉り、舩川八幡宮と号し、濁酒献供の定めを起して、田地2反8畝歩を神領としたのが、濁酒醸造の始まりとされている。以来、歴代の領主から代々寄進米を受け、この伝統行事は継承されてきた。】
【元禄10年10月、1万8千石の初代新見藩主となった関備前守長治侯は、正徳5年9月13日神社を今市から明月山に奉遷し、藩の守護神と崇め、領内23村の総鎮守とした。秋季大祭の御神幸大名行列(新見市無形民俗文化財)と共に濁酒醸造の行事を確立した。特に例大祭には、藩主が参座して領民の安穏、五穀豊穣を祈念したといわれている。】
【御神幸の時は、藩主入国の行列儀式にのっとり、藩士を差し向け厳粛に神輿の前衛として奉仕させたのが御神幸武器行列の始まりで、現在も往時の仕来りを、忠実に継承している。】
【明治4年9月国家管理に移行され、「郷社舩川八幡神社」となり、同40年1月27日神饌幣帛料供進神社に指定された。】
【昭和13年4月15日、新見町大火災によって社殿などことごとく焼失した。】
【昭和21年1月10日、神祗院から認旨があり、「県社舩川八幡神社」となったが、同年2月2日神道指令により国家管理を離れ、宗教法人神社本庁の包括神社となった。】
【昭和22年4月、約10年を費やし社殿等全てを再建立した。】
【平成3年2月15日、「船川八幡宮」と改称した。】
石段の麓に・・大きな銀杏~ワンちゃんが・・実は2匹・・そして、所々に紅葉の美しい色合い!
摂社もあります。
紅葉が・・西日を受けて輝いていました。

美しい。
一枚々々が~違う色合い。
感動的ですよね。
立派な神社ですね。
なんだか、まだ、山を登る辺りに、階段が。
上った辺りも・・陽射しを受けています。
上に・・祠が・・・。
こちらも、趣が深いです。
摂社を合祀しているってことですね。。
奥の院・・では、無さそう。
木々の向こうは住宅街っぽいですが。
あっ、でも、地図で確認したら・・・この奥は斎場ですね。
お参りは終了で

で、美術館⇔船川八幡宮の往復の間の町並みの風景や高梁川。
新見駅の引き込み線と・・・伯備線のゲート。
川面に映る綾錦。
古い町並みも・・・・。
帰路では・・・やはり、高梁川。
列車が・・・【山陽本線の普通列車に使用される"真っ黄色"な115系電車。JR西日本は2009年末より、岡山・広島地区の電車(115系や117系など)に関して、「濃黄色」1色への塗装変更を進めている。「瀬戸内地方の豊かな海に反射する陽光をイメージした色」とのことだが……。】

最後は・・Cafe & LIve MUSIKさん
11/23がLIVEです。よろしくお願いします。