2021.10/28
朝は霧


木曜日は午後休診・・・良く晴れて・・・診療所の回りも秋!
昨日も・・・同じような写真を撮りました。
陽射しが入ってくると・・・本当にきれい。

さて、今日は、夜、岡山でLIVEを聴きに行くことになって・・・途中で、御津金川でブラリ
訪れたのは、御津郷土歴史資料館。
【旧御津町域から出土した考古遺物や民俗資料を展示し、岡山市域北部の歴史や民俗を概観できます。】
【なかでも、全国的にも珍しい弥生時代のお祭りの様子を描いた新庄尾上遺跡出土の土器や原遺跡から出土した石鏃などの貴重な考古資料も展示しています。】
【また、栢管コレクション展示室には栢管純美(号・渓雨)氏から寄贈されたご本人の作品や収集品を展示しています。】
展示室は撮影禁止で・・・外回りとか、「ふれあいプラザ」の方・・・を。
そこから道路挟んで向こう側には・・・七曲神社と明覚寺があります。
まずは、神社へ登っていきましょう。
【もと佐波山の麓に御鎮座であったのを、慶長八年日置忠俊が金川を領有するとともに、城山の東五丁ほどの山麓に奉遷したという。】
【寛永九年池田光政が備前に国替えとなって、小神富久を新に神事を執行わせた。】
【寛文九年に現在地に奉遷した。延宝二年卜部兼方が神籬・正印霊を御筥におさめて遷宮した。延宝三年日置忠明が新社殿を造営した。】
【その後度々修築したが、現在の社殿は昭和十三年に竣工したものである。】
こざっぱりとした拝殿~本殿な感じです。
沢山の摂社があります。
稲荷社?
お寺さんの裏山的です。
伽藍も美しい。
歴代住職の墓所でしょうか?
静かな感じです。
【日蓮宗不受不施派の祖山。山号は龍華山。1882年(明治15年) 日蓮宗不受不施派の日正は江戸時代後期の医師難波抱節の宅跡を入手し、妙覚寺を建立する。2003年(平成15年) 住職の寝タバコの不始末を原因とする火災により、一部が焼失し住職が焼死する不祥事を起こす。その後、再建する。】
妙覚寺さんは~ドアは基本閉まっているみたいです。
参道を降りて(狛犬を撮って)・・・そこには「難波抱節」の説明。
【没年:安政6.8.22(1859.9.18)、生年:寛政3(1791)。江戸後期の漢蘭折衷医。名は 立愿,諱は経恭,号は抱節。岡山の篠野貞文の次男。】
【備前藩(岡山市)家老日置氏の侍医難波経寛の養子となる。賀川蘭斎に産科を,吉益南涯に内科を学び,次いで華岡青洲に外科を学んで帰り,侍医の傍ら備前藩金川村(御津町金川)で開業。曼陀羅華を主剤とする麻酔薬を用い乳癌,脱疽などを手術した。また学塾思誠堂を開いた。】
【嘉永3(1850)年緒方洪庵から牛痘苗を譲り受け,金川地方で3千余人に接種。安政6(1859)年流行したコレラの治療中に自らも感染し死去した。著書には未刊の大著『胎産新書』,『散花新書』(1850)のほか多数の未刊の著書(労働科学研究所蔵)がある。】
さて、岡山へ行きましょう。

30分くらい早めに到着で、ブラリ。

県庁横、旭川の堤を。あれ、ここって通れたの? 宵闇迫れば。@新堰管理橋。
久しぶりの景色です。
黄昏時で、美しい。
みるみる暗くなっていきます。
橋の名前は・・・味気ない。
県庁もまだ、灯りが沢山です。

さて、目的地~ルネスホールです。
裏手も美しい。
今日は、クラウドファンディングをした・・・海野雅威氏のジャズと癒しの夕べ。昨年9月、ヘイトクライムによる暴行で重傷を負いながら、多くの支援で復活されたのです。
クラウドファンディングで、参加。サイン色紙を頂戴しました。そして、ソロピアノはとってもステキでした。