2012.10/23
土曜日で・・・くももありますが・・・青空も見えます。
さて、午前中は診療で・・無事終了
さて、今日は理髪店を予約していますし。
で、16時くらいに終わって・・・暮れるのも早くなったし、近くで・・・訪れていなかった「木山寺」へ。
神仏習合的です。
橋を渡って・・・境内へ。
古い山門。
【高野山真言宗別格本山の寺。山号は医王山。詳しくは医王山 感神院 木山寺と号する。本尊は薬師瑠璃光如来。中国三十三観音霊場第四番札所、山陽花の寺二十四か寺第十番札所、高野山真言宗美作八十八箇所霊場第三十四番札所、百八観音霊場第六番札所。】
本堂に上がりますが・・・鳥居や狛犬など・・神社と合体系。
【堂内には稲荷(白狐)、両鎮守神、本尊仏を祀り他寺院とは異なる趣は、神仏習合の伝統が、今日もなお継承される神秘的な空間です。安置仏:薬師瑠璃光如来・善覺稲荷大明神・木山牛頭天皇など】
お稲荷のお狐さまもいらっしゃって、不思議な空間。
お線香と蝋燭を供えました。
摂社もいくつか。
構造は・・・神社で、この本殿は「鎮守殿」【鎮守殿(観音堂)神仏分離にあたって、木山宮の本殿に祀ってあった牛頭天王・善覺稲荷の御神体である薬師如来と、十一面観音を寺で祀るために建立されました。安置仏:十一面観世音菩薩・薬師瑠璃光如来】
鐘楼もあります。
庚申堂もありました【「病気平癒」「あらゆる災難の消滅」をはじめとして、「学業成就」や「商売繁盛」に力があり、また「三猿・くくり猿」の霊力により、「縁むすび」の御利益があります。安置仏:青面金剛】
さて、お寺の方が戻ってこられたので、御朱印を頂戴しました。
【伝承によれば、平安時代前期の弘仁6年(815年)に弘法大師が開いたとされる。弘法大師がこの地を訪れた際に、木こりの老人に導かれ寺院を建立するのに相応しい地であると告げられた。この老人は薬師瑠璃光如来の化身であったという。そこで弘法大師はこの地に寺院を建立したと伝えられている。仁寿年間(851年
- 854年)には文徳天皇の祈願所として勅願寺となった。】
【この寺院は鎮守神として木山牛頭天王と善覚稲荷大明神を祀っている。木山牛頭天王は薬師瑠璃光如来、善覚稲荷大明神は十一面観音の垂迹神となっている。現在の寺院には珍しく鳥居があり、本堂と鎮守殿に分かれており神社建築の様式となっている。神仏習合の形態を今に残す寺院である。】
なるほど・・・でも、木山神社は・・もう少し麓よりにあるようですが。
【大師堂(御影堂):大師堂は元の本堂でした。弘法大師の尊像は日輪大師と称され、五鈷のかわりに塔を持たれ蓮台に座し、光背は光明真言の日輪で実に珍しいお大師様です。安置仏:日輪大師・不動明王・愛染明王】
ここでも、お線香と蝋燭を・・・。
あっ、動画は撮りましたが・・・上の本堂の前のお線香と蝋燭と・・・風鈴を写真にしてなかった!
紅葉は、まだ、始まったばかり。
客殿の方にも行ってみよう。
広い境内。
で・・・少し坂を上ると・・牧場!
かわいい・・・ジャージー牛?
いやいや・・・びっくり。
さて、ぐるりと回りました。
地図で見ると・・「神社」の奥宮が、すぐ近くみたいで。
道がありますね。
おおお、立派な奥宮。
ぐるりと回りましょう。
すごいですね。
神仏習合と考えると広大ですね。
で、さらに、少し麓よりに進むと、隋神門があるらしく・・・。
見えてきています。
なんだか~歴史を感じさせる場所です。
夕方頃で・・・ほかに人もいらっしゃらないし。
なんだか・・・気持ちが落ち着きました。
さて、戻りましたが・・・途中・・・備中川とその周辺の鹿田地区でしょうか・・その向こうは・・吉備高原の北のはずれって感じで・・・良い展望。
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