2021.10/09
今日も快晴な・・・空~朝は、雲が味わい深い。

さて今日は、三次まで足を伸ばします。三良坂平和美術館へ。
二宮郁子氏のカリグラフィー! そして、吉原啓司氏の「伝統技法」紋様の・・ダブル展示です。
今、PCで、いろんなフォントを使えますが、それが手書きで、すごいです。
展示は、写真禁止でしたので・・・・二宮郁子氏【17年前にカリグラフィーと出会ってから、その魅力に取り憑かれてしまった二宮さん。世界的に有名なカナダ在住の英国人カリグラファー、マーティン・ジャクソン氏(ローマ法王からのコミッションの仕事やビル・ゲイツの結婚式のカリグラフィーを担当)に師事し、現在も試行錯誤を繰り返しながら、独自の表現を追求しています。】
残念ながら吉原氏の作品の写真はないのですが【高校を卒業後すぐに北陸富山のタニハタに入社。職人として6年間従事し組子の技術を修得する。25歳で帰郷し、家業である吉原木工所に入る。鎌倉時代に発祥したと言われる組子細工は、釘や金具などを一切使わず、細く割った木材を組み合わせることで、さまざまな模様を描く建具の伝統的な技法、光がもたらす組子細工の直線と曲線による陰影の美は、自然と共に暮らす日本人の美学。それを現代の生活に合わせ、リビング用の障子や照明なども制作し、心地よい空間や暮らし方も提案している。伝統的な模様を駆使しながら新しい感覚やデザインなどを取り入れ、木のぬくもりを生かした新たなものづくりを展開している。】
【「平和・人権・文化」をテーマにした三次市で最も古い美術館です。平和と自由を求め続けた洋画家、柿手春三(かきてしゅんぞう)さんほかの作品を常設展示しています。特別企画展示室では、県北の画家の作品展、平和美術展をはじめ、さまざまな企画展を開催しています。】
柿手氏は、三次市への合併前の三良坂町長田の生まれとのことで、常設展は、柿手市のイラストなども、ありました。
小さいけれど、素敵でした。
さくら草のタネも、頂戴しましたよ。

【三良坂町(みらさかちょう)は、かつて広島県双三郡に存在した町である。2004年4月1日に三次市と甲奴郡甲奴町、双三郡の全6町村(吉舎・三良坂・三和各町及び君田・作木・布野各村)が合併(新設合併)して改めて三次市が設置されたことに伴い消滅した。】
美術館で、「観光ガイドブック」・・・当初は、三次の風土記の丘へ行くかなって思ったりしていたのですが、三良坂町を歩いてみようって・・。
稲荷山古墳群って書いてあるので・・・。
ここなんですが、木間越しに、どうも、少し登れば、道がありそうなので・・草を分け入ってみると、一応の道はありました。~横にも少し盛り上がりが。
整備してあるのか、ないのかって感じで。
道なき道的な所を分け入ると~燈籠とか・・・。
確かに、円墳っぽいですね。
足をかけたら、そのまま、折れてしまいそうな・・・階段・・端っこに体重をかけて、登ると・・・祠! お稲荷さんですね。
こんな眺め。

道なき・・です、地理院の地図でも。
ガイドブックによると【古墳時代中期につくられた三次市を代表する古墳群の一つで、68基が確認されている。中でもD-16号古墳は直径36X38m、高さ4.2~7mの大型の円墳である】
降りてみると、横から観るとわかります。

でも、整備はされていないですよね。
降りてみると・・鳥居もありました。
そして・・・道を挟んで向かいには、光善寺さん。
最初は、お参りのつもりでもなかったのですが・・・裏手に、神社もあって・・・境内を眺めてみると、しっかりとした、お寺さんで・・・。
日蓮宗のようです。
あまり情報はないのですが。
山号が、はっきりわからないのですが・・・
斜面で。。。石垣も。
結構、立派で、びっくり。
ちなみに・・・出雲大社の備後分院があって、とっても大きな石鳥居は、目にしました(関係ないけど)。
仁王像、二体!

さて・・後は、駅かなぁ・・・。
駅にナビに合わせて向かうと・・あまりにも人気のない・・学校・・廃校???
今、東の方の「みらさか学園」が、どうも小中一貫(新庄村みたい)・・になっているみたいで・・・やはり、跡地か??

駅の方に・・・ここ馬洗川
三次市内で、江の川に流入するようです。
何かの碑が二つ。~そして、駅舎です。
そうか、福塩線ですね。
芸備線は、庄原から三次ですね。こっちは・・そうそう、昔、上戸手までは、バイトで良く乗った。
駅舎と一体のホールで・・・音楽室も(中には、ドラムセット)。
そして、駅前通り・・・商店街を抜けましょう。
勿論・・・昔ながらの・・なんですが。
このMIRASAKA COFFEEには行きたかったけど、16:30がラストオーダーで・・(。>0<。)
街中を流れる小さな川には、降りれるように、なっていますね。
小さな祠も。
そして・・・銀山街道【石見銀山街道(いわみぎんざんかいどう)は、石見銀山で産出された銀鉱石や銀地金を陸路で港へ運ぶために利用されていた街道の通称である。銀の道(ぎんのみち)とも呼称されている。銀山の中心地である大森(現島根県大田市)から、鞆ヶ浦(大田市)へ、 温泉津・沖泊(大田市)へ、あるいは尾道(広島県尾道市)へ、笠岡(岡山県笠岡市)へ、と4本の道がこの街道であると言われている。うち前2道が世界遺産“石見銀山遺跡とその文化的景観”における構成資産(文化の道)であり、「石見銀山街道鞆ヶ浦道」「石見銀山街道温泉津・沖泊道」の名で登録されている。尾道へは「尾道道」、笠岡へは「笠岡道」あるいは「上下・府中・福山道」と呼称されている。】だって!