9月のあれこれ:上旬
10日:曇りがち・・・夜には少雨も。
いつもの、がいせん桜通り。
曇っていますが・・・コスモスも。
夕散歩・・は、蕎麦
歩いて行くと・・・稲藁干し。
季節感満載。
そして、サルナシとヤマボウシ、食べていて・・・キウイとイチジク/ライチのように、美味しい!
8日:午前は結構な雨(雷おm)。
まずは郵便局方面で、民俗資料館。
この囲炉裏端とかいいですよね。
さて、いつもとは逆コースで、ぐるりと南下。
がいせん桜通りの・・・色付きも、日に日にくっきりとしてきます。
秋ですよね、もう。
改めて・資料館。
さて・・・夕方散歩は・・・久しぶりに南へ・・・・大所まで。
最初は、雨も大丈夫でしたが、途中で、小雨模様。
時々、回るので、その都度の新しい花々の発見。
それにしても、小雨で雲っていうのか、低い。
なかなか、止まないし・・・まぁ、戻りましょう。
7日:今日は少し曇りがち~なので、まずは、朝出かける時の官舎の前庭
そして・・・昼は少し官舎に戻っただけで・・・夕散歩
ビフォーアフター的な左右で刈入れ前後
そして、彼岸花
そして、夜は新月ウォークでした。
早く暮れてしまうようになりました・・・もうすぐお彼岸
6日:なんとなく青空は、久しぶりって思ったら、週末で、稲刈りの済んだ田圃が、ちらほら
さて昼散歩は、がいせん桜通りのいつものコールで。
さて・・・新庄川沿い。
ちょっと花々も・・・。
コスモスも目立つようになってきました。
さて、ここから夕散歩・・今日は、5.6kmくらいの高下コースを約1時間。
刈入れです。
あっという間に・・・広がりましたね。
季節は巡ります。
そして、道のわきに草花。
ツリフネソウが、とっても沢山並んで咲いていました。
そして夕暮れの空。
野土路川ですね・・・新庄川と合流
暮れてきました。
それと・・今日は社共さんから・・色紙を!! 8月3日の納涼祭の写真も頂戴しました。
3日:雨模様・・・・昼は所用で官舎へ~で、夕方、雨も上がって(曇ってますが)散歩。
がいせん桜通りも、秋の色が目につく様になってきています。
どんよりです。。。
コスモスも咲いています。
稲穂も首を垂れています。
Mさん・・・写真家さんですが、新庄在住です・・から頂きました。
2日:ワクチンなども無くなって、の、木曜は午前のみ。昨日、副村長さんが下さったサルナシは待合室に。
そしてこれも昨日ですが、大学コンソーシアム岡山から、参画大学の学生さん手書きの医療者向けのメッセージカードが、診療所に届いたので・・患者さんにも見てもらえるように、しました。
午後からは、中国勝山で理髪店へ~めっちゃ久しぶりの理髪店でした!カットとカラー!そして、その後、ショッピングにも行くのですが、落合を越えて、落合内の旦土(だんど)。
ここ倉敷往復で、以前、結構、通っていて・・神社があるのは、知っていました。
【美作国真嶋郡旦土村(2005年から岡山県真庭市)の医者の子として生まれる。1810年に父を亡くすものの、そのまま医学を修めた。1823年(文政6年)から長崎に渡り、シーボルトの鳴滝塾でオランダ語を学ぶ。師シーボルトから『日本産昆虫図説』や『日本産蜘蛛図説』『鯨の記』などの蘭訳を命ぜられるなど、語学力は優れていた。シーボルト事件後も長崎に逗留したが、後にふるさとにもどり開業した。】
【1832年(天保3年)から美作勝山藩の藩医として召し抱えられる。その後、藩医を辞し、備前国岡山(岡山市)で開業する。1845年(弘化2年)から二宮敬作の勧めもあり、師シーボルトの娘、楠本イネを預かり、産科医としての技術や知識をおよそ7年にわたり教える。1852年(嘉永5年)、イネは宗謙との子である高子を産む。イネは師匠の娘であったため、この関係は常識的に許されることではなかった。また高子の手記によれば、この妊娠は強姦によるものだったという。のち宗謙は、シーボルト時代の同窓から破門同然の制裁を受けている。なお、宗謙には既に妻との間に長男・石井信義(1840年(天保11年)生)がいた。】
【1853年(嘉永6年)から江戸に赴き、再び勝山藩に藩医として召し抱えられるとともに、外国語の知識を買われ、幕府にも通詞、外国文書の翻訳者として召し抱えられ、公職を与えられる。1857年(安政4年)には江戸神田の種痘所開設に参加し、協力をしている。】
神社自体とは関係なさそうですが・・・この辺りが下旦土、旦土川が旭川に流れ込みます。
以下のようです。
緑が思いっきり広がっています。
今日はでも、一日、小雨っぽかったですね。
ほら・・・短くなりました(眼鏡も変えてみました)。
1日:今日は昼も夕方も用事が出現で・・・・昼間に郵便局まで。
で、民俗資料館紹介動画。
そして、官舎の前庭産のカボチャ・・野菜蒸しと野菜サラダ!
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