2021.8/28
土曜で休診の午後も、ワクチン接種がありましたが、それでも、そこそこの時間には終了・・・・「岡山県の歴史散歩」って書籍で見つけた大庭八社。
社という地域・・・宇和佐という地区です。
最初に目にしたのは、大御堂です。元々は、神仏習合で、ここも寺院(神宮寺:1188年に創建)だったのかなってことですね。。。ここから、旧富村に向かう道を少し進むと「二宮」です。
この地域の「八社」というのは、古代の大庭(おおば)郡(真島郡と大庭群で真庭郡です)の当地に、『延喜式』神名帳(927年)に載る美作国式内社10社11座のうち、7社8座までが集中しているので、歴史が・・・感じられるということです。
理由は不詳と書いてありますが、863年に苫田郡が東西に分割されて、布施郷の一部(現在の、苫田群鏡野町富地区)が大庭郡から苫西郡に転属したため、同地の横見神社(←最後に参ります)を大庭郡社に遷座させ、あわせて、大庭郡各郷にあった諸神を勧請したのであろう、とのことです。
もう少し富村よりが、一宮で、こちらは「二宮」~同一境内に莵上(うなかみ)神社、久刀(くと)神社、壱粟(いちあわ)神社(2座)、長田(ながた)神社の4社5座が並んでいました。
さて、どうも拝殿は・・別途、なんていうか、こういった地区の公民館の様なつくりになっていますね。
さて、約1.2kmくらいなので・・遡上して行きましょう
道端の花などを見ながら・・・
結構、川(社川)も堰が多く、急流なのかなって・・・。
まだ、先のようですね。
さて、田圃の中に、鳥居が見えて・・・佐波良(さわら)の大杉が見えてきました。
まずは、神社の方へ。
大杉以外にも・・・縁結びの木で、スギとモミが根本で結合!
しっかりとした社ですね。
ここは、形部(かたべ:刑部)神社と佐波良(さわら)神社の2社です。
丸に並び矢ですね(参考:古来狩猟の際に使われ、儀式の折に捧げられ、戦場では武器として使われてきた矢を文章化したものです。武家が尚武的な意味合いから用いた例のほか、「矢」のつく名字の家が用いたこともあったようです。矢も六本や八本になると花や車を模した形に配されています。
八畳岩も近そうなので、畦道~山道を進んでみましょう。
おお・・・・・大きな岩です。
結構、すごいですよね!
この辺りは本谷という地区の様です。
神社の方に、戻りましょうか・・・・。
花々や虫たちや・・カエルや・・出会いは面白い
さて、戻ってきました。
栃の木?
注連縄が太い!
さて、大杉・・MUSASHIの撮影でも使われたそうな。。。
確かに、すごいです。
樹齢千年近いそうですね。
見る方向からでも、様相が変化します。
さて・・・案内板を見て・・・戻ろうかしら。
参道の周囲が田圃になった中を向かって見ましょう。
本当に・・・草取りはしてあるけど・・・。
はい。。。通り過ぎました。
今度は、違う道を・・・戻ります。
センニンソウ、ツリフネソウ
こんもりした処が「田井城跡」
社川と荒田川が合流。。。。
アメリカ畔菜?
もう一つ、横見神社は・・・南側の加佐見山の麓に、少し離れていますね。
結構、楽しい徒歩での散策でした。
苔生しています。
歴史が濃縮されている感じ。
花々も・・・色々見れたし。