2021.7/23
今日はTOKYO2020の開会式でっていうか、開会なので、体育の日が動いてきて、昨日は、海の日で、連休です。っていうか、ずっとポストの所に。
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朝一番に診療所に用事があって、その後、倉敷へ。途中、旧北房町の古墳を散策します。
大谷一号墳です。
数段の石の建造物。
【6基が国の史跡に指定され、大谷1号墳出土の金銅装環頭大刀が岡山県指定重要文化財に指定されている。】
【築造時期は古墳時代終末期の7世紀後半頃と推定され、7世紀末頃までの祭祀の継続が認められる。被葬者は明らかでないが、壬申の乱で功績を挙げたのち天武天皇8年(672年)に吉備大宰の時に任地で死去したという石川王とする説が挙げられている。】
石造りがなんかすごい。
で~ハグロトンボばっかりで、すごい数!
結構、エキサイトしました。
のどかな・・・地域ですけれど。
続いて、定古墳群:定西・定東そして定北とあります。
いきなり・・・定東・・・定西は草で近付けない感じでした。【築造時期は古墳時代終末期の7世紀前半頃と推定される。一連の古墳群のうちでは最古の築造に位置づけられる。】
木の根本が、定西の古墳部。【築造時期は古墳時代終末期の7世紀前半頃と推定され、定東塚古墳に後続すると見られる。】
さて、定北へ~少し山を登ります。
なるほどの、こんもり。
【築造時期は古墳時代終末期の7世紀中葉頃と推定される。】
さて~ぐるりと回りました。
さて、北東側に「荒木城御前古墳」の東塚と西塚。
民家の横の細い路地を少しだけ登ります。
定古墳群は方墳でしたが、こちらは東が前方後方、西塚は前方後円墳の様です。
これは東塚の後ろ部・・小さな祠。
そこから西塚へ・・・写真ではなかなかわからないのですが、ちゃんと形がわかりましたよ。【3世紀終わりごろから4世紀ごろの時期に築造されたと考えられる。】は・・この辺りでは一番古いそうな。
等高線でなんとなくわかるような。
たくさん、めぐりました。
さて、倉敷に戻って・・daughter は春学期の期末試験前・・で、夕方から、dinnerに。
いろいろ検索して・・結局、MAMMAさんへ。
そこから、夕日を海辺で、あるいは、王子が岳で見ようかって車を進めたのだけど、
灘﨑の辺り・・・では、種松山に登ってみよってことになって・・・
感動的です。
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ここって・・一望ですね。
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さらに・・月は、明日が満月
そうこうしているうちに・・暮れていきます。
そうなると、コンビナートの夜景。
あっという間に、暗くなります。
今度は東から西へ
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これも、きれいな・・でも、夕焼けは一瞬
撮影中のシルエット
思うようには写らない。
遠吠えはショートムービー
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いい感じでした。さて、帰ろうか・・僕はここから新庄まで。
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