2020.10/18
もう盛岡を訪れることもないかも知れないので・・・午前中は、街歩き。ホテルを出て、北上川を渡ります。


まず「啄木新婚の家」~が、小さなお宅なんですが、バス停の名前にもなっているし、観光名所なんですね。
8:30からってことで、少し早くって・・・外回りだけ

そこから・・・お城の跡のある丸内の方へ・・・所々、ゆかりの緑が・・
新婚の家の図を頼りに・・啄木の歌碑・詩碑を尋ねます。
その一つに、旧岩手病院~今、岩手医科大学大学院と掲げてある歴史ある建物・・宮沢賢治の初恋?

そして、裁判所の敷地内に・・・盛岡石割桜
すごいです・・圧巻、花崗岩を突き抜けて・・樹齢350-400年とのこと。

そこから中津川(この下流で、北上川と合流)の方へ・・
新渡戸稲造の胸像は、あちこちにありますね。
そして、この中津川~鮭が遡上してきているらしいのですが・・姿は見れませんえでした。晴れ間が見えてきました。
良いせせらぎ
この川沿いは、いい遊歩道ですね。
さて・・・今回は、街歩きの予習はしてきていますが・・


次は・・川を渡って、赤レンガの建物ですね。、旧岩手銀行本店(現・中ノ橋店)
今も現役ってすごいね
横手にバラ園があって、きれいに咲いていました。・
和みます。
赤レンガに映えています。

そこから、当初予定通りで、森岡八幡宮へ:途中、以下のような案内も~米内光政は、海軍大臣・内閣総理大臣ですね。

さて・・森岡八幡宮
広い参道で・・・屋台が居ます(七五三だけど、他にも祭り??)
【盛岡の総鎮守とされ、神事のチャグチャグ馬コ、例祭の山車行事(盛岡山車)、流鏑馬神事で知られる。】
【康平5年(1062年)、源頼義が安倍氏討伐の際に、戦勝を祈願して石清水八幡を勧請したのに始まると伝えられる。「鳩森八幡宮」と称し、地元の豪族の日戸氏が代々崇敬した。】
【文禄2年(1593年)、南部氏が盛岡城を築城した際に城内鎮守の神社として再建された。延宝8年(1680年)、南部重信は青森より南部氏の氏神であった櫛引八幡を勧請し、鳩森八幡の御旅所のあった現在地に祀って「新八幡」「南部新八幡」と称した。明治に入って鳩森八幡を新八幡に遷座、さらに明治22年(1889年)、市内の白山神社を合祀した。】
さて、境内や摂社の方は回っていきましょう!
大国主命と恵比寿様
十二支の祠・・ボクの申、娘の午
【明治39年(1906年)、岩手護國神社が岩手郡東中野村茶畑から当社境内に移設される。】
【平成14年(2002年)に正面一の鳥居が建て替えられた。旧鳥居は宝暦13年(1763年)に南部利雄(南部藩8代藩主)によって築造された歴史のあるもので、境内の別の場所に移築されている。】
紅葉と・・にゃんこが・・近付いても動かない
そして、少し横いは・・・
参道沿いに、いろいろあって・・・
【境内に笠森稲荷神社(盛岡八幡宮境内地に元々あった神社)、神明社(盛岡市神明町の名の起こりとなった神社)、梅宮(安産の神)、盛岡天神社、十二支の守り神を祀る各神社(十二支神社)、神宝殿のほか、岩手護国神社、霊璽簿奉安殿、戦没者遺骨奉安殿、岩手県神社庁がある。】
確かに・・・いろいろとありました・
広大な境内ですね。
そして、この青銅の灯籠
さて・・・境内を出て、正面は八幡町・・・今日は、青空フリーマーケットみたいなイベントなのか、七五三とあ、お祭りに合わせた町の出店か・・・確かに、準備が進められていました。

(どなたかのお宅の二階の窓越しににゃんこ)・・・で、松尾大明神
マンション横の緑地なのですが・・・

そして、その道路の向こうに・・十六羅漢+五智如来で21体
すごいです。
江戸時代の盛岡藩四大飢饉の餓死者を供養するためだそうです。

そこから・・なんとなく、歩いていると・・曹洞宗のお寺さん・・永泉寺さん。
【曹洞宗寺院の永泉寺は、盛香山と号します。永泉寺は、尽室長呑和尚が中野新山館に一宇を建立、師である天室清耽和尚(北山源勝寺九世)を開山として天正3年(1575)に創建したといいます。盛岡三十三観音7番です。】
ここに、十六羅漢図が納められていたそうです。
日が差してきて穏やかな境内。
お花なども・・
なだか、和みますね。

大慈寺町は、寺町で多くのお寺さん。
ここは、大慈寺。
【山号は福聚山。本尊は如意輪観音。盛岡藩主南部行信の娘・光源院や第19代首相原敬の墓所。】
そう、墓所もあり、阿吽の不動像も。
【寛文13年(1673年)に徳真道空を開基として創建。】との由。
続いて、塀越しに・・秋の蔦

そして、青龍水

さらに・・・盛岡城警備惣門遺跡~で、町のイラストがあって、それを見てウロウロし直しました。シダレカツラは、個人のお宅の前庭、道路沿いです。
そして、県の有形文化財、木津屋池野藤兵衛家住宅と土蔵

そこから北上川の方へ・・円光寺!
夫婦カツラ・・・は、黄葉が・・きれい。
ここには、米内光政の墓所も・
本堂も保存建造物。【盛岡出身の宰相米内光政の菩提寺。寛文年間(1661~1672)創建。処刑された父の首を盗み出して供養したお蓮の伝説を伝える首塚がある。】
楽しく参拝させて頂きました。

そこから、少し住宅街に入ると・・南昌荘。時間の関係もあって、前庭だけ見せて頂きました。庭園が美しいそうですが。明治期の富豪の瀬川安五郎の邸宅跡ですね。庭園を眺めて、部屋は貸し出しがあるようで、喫茶もあり、お弁当も販売されているようです。

そして、旧石井県令邸です。
ツタの絡まる建物に紅葉が溢れそうになってきて。
【現在の県知事にあたる第二代石井省一郎県令の私邸の洋館として明治18~19年に建設されました。】
【盛岡で最も古い本格的な煉瓦造の洋館で、昭和52年に盛岡市歴史的建造物に指定されました。】
ドラマのロケができそう。
周辺にもきれいな花々
素晴らしかったです。

そして、盛岡城跡公園の方へ向かう途中で・・・新渡戸稲造生誕の地
全身像で~ソファに座っていらっしゃいます。
きれいに手入れされていました。

さて、そこから盛岡城~岩手公園です。
中津川を越えて・・お城の中へ
ここにも賢治ですね。
さて、南側の石垣を眺めてぐるりと・・・
【彦御蔵(ひこおくら):江戸時代末期に建てられたといわれている土蔵で,城内に残る唯一の藩政時代の建築物で,諸道具を納めていたと考えられています。建物は木造総二階建ての土蔵造りで,内部は中央で二つに仕切られています。城跡に残る唯一の蔵(寛延2年(1749年)7月5日竣工)。内部を上下四つに仕切っています。外壁は漆喰塗り仕上げ,屋根は野地板の上に土を塗り,その上に木造屋根組を行う二重構造で瓦葺です。出入口は両開きの漆喰戸で,その内側に片引板戸が2枚ついており,外側の板戸外面は漆喰塗り仕上げとなっています。この蔵はもともと現在地よりも100メートルほど西側に存在していましたが,道路の拡幅工事にともない,かつて「米内蔵」があった場所に移設されています。建築面積は180.25平方メートル(54.5坪)。】
そして、紅葉
石垣は続きます。
そして、西側から、登ってみます。
今は、建造物はないのdすね。
少し、列車の時間が、気になり始める頃になりました。
藩主南部氏の居城ですね。不来方城は前身だそうです。でも、啄木も「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸われし十五の心」と、詠んでいますが。
さて・・北側の方へ、ですね。
天気も良くなって、結構な人が来てらっしゃいました。

そして、烏帽子岩
ここは、桜川神社ですね。その摂社の稲荷神社・
ここも七五三参りかな?

さて~お土産にGoToチケットを使わせて頂いて、帰路は、はやぶさ号に、連結する秋田からのこまち号に乗車します。サヨナラ盛岡。

結局、10km+、歩きました。