2020.6/14
午前中の大学の居室の窓から、少し青空も垣間見れたので・・少し、どこかに(先週程の川上町までの距離ではないくらいで)・・・行こう適って、岡山市東区吉井の水門とどうも石造宝塔があるらしいって・・
でも、車を停めたら~そうだこの辺りに「木庭の滝」って思って。歩き始めました。
途中、梶ノ池って・・溜池の所で。。赤とんぼ??? ちょっと早くない?~ショウジョウトンボです。 猩々蜻蛉【猩々とは、古典書物に記された架空の動物。 能の演目である五番目物の曲名『猩猩』が有名である。真っ赤な能装束で飾った猩々が、酒に浮かれながら舞い謡い、能の印象から転じて大酒家や赤色のものを指すこともある】
コシアキトンボってのも居たのですが、スマホでは撮り切れない感じdえした。
さて・・不要も、あじさいもキレイで・・・・案内板通りで・・かつ、スマホの国土地理院のMAP見つつ・・・
だんだん、邑久に入っていきます。
変った色合いのカメムシ・・ヒメナガメ(姫菜亀、Eurydema dominulus)かも?
まだまだ、奥へって感じですが、結構、途中々々で、堰なんかも人工されています。
どうもこの辺り???
国土地理院のMAPの位置は、堰があって~戻って調べると、瀬戸町の森林公園(西側)・・・から降りてきたところにあるそうで・・ってことは、この山道をもう少し登っていたら遭遇出来たのかも知れないのですが・・・あれれ、なんか、でも、google
map でもこの位置だけどなぁ・・・
でも・・数段に分かれているのですが、それなりに(今日は水量も多くって)良い滝がありました。
最上段は・・東から流れ込んでくる方も、それなりに・・
戻っていきましょう・・・なかなか、滝の様子を撮影するのに、降りていくのが、大変でしたけど。
結構、満足です。
水量が多いにのがダイナミックです。
段々と~いくつかあって、これはこれで、結構な滝ですよ!!
密避けの滝巡り・・県南で続けています。
向かいには・・大きな岩でした。
十分に・・・満足!! でも、本当の木庭の滝はどうなっているのか、なぜ、MAPと異なるのかは、知りたい処です。
さて・・戻ってきました。~ほら、堰が結構沢山あって、音で、滝と間違うのですよね……蝶々
花々・・・
蝶々・・芙蓉
旧瀬戸町「大内」で、鍛冶屋、中村、正木、内山といった字でしょうか。集落があって、紫陽花や石榴、芙蓉。里の花々です。
石碑っていうのか・・角には・・寛政12年って彫ってありますが、1800年です。
他にも・・・
そして、この向かいのお宅は「陸軍大将宇垣一成生家も。大正末期から昭和初期の陸軍大将で、陸軍大臣、朝鮮総督や晩年参議院議員も務められたそうです」って、結構、すごい!!
里山な感じの集落でした。
さて・・吉井川の土手の方は・・新幹線の橋梁を潜ります。
新幹線も・・通りました。
ワルナスビや・・繁殖しているオオキンケイギク
吉井川まで、河川敷が結構・・あります。
水門があって・・・大内排水機場・・さらに河口から15kmとのこと。
水門!
再び吉井川・・ここは、道路沿いが川
さて~この吉井地区・・・「おかやま石のこころ」って本(1995年11/20発刊:山陽新聞社発行です、大倉徹彦さんの著書です)に、「吉井の石造宝塔」が「吉井水門の石垣」と一緒に書かれていて・・・でも、どこ??
用水路には、水車(金属製)です。
で、案内板もあって・・・奥に入ると、見つけました。
相当に奥です・・
後鳥羽上皇が隠岐で崩御の際、奉仕していたこの地区の刀鍛冶が遺髪を埋葬して建立との説と、足利尊氏が利生塔として建立した説。竹藪の奥でしたが、ひと時の歴史ロマンです。
さて最後は・・木造の水門!
倉安川水門。新田開発の運河で吉井川と旭川を結ぶ全長20キロに及ぶとの事。そして、その木造水門は、今もその姿を残していて県指定史跡です。
守番の様な・・家屋には・・今は不在なのかなぁ・・向こう側(北東側)は普通に生活されているようでした。
二重構造、高瀬舟の船溜りにもなっていたそうです。
この石垣の技術が素晴らしいらしいです。津田永忠の業績ですよね。
下まで降りたかったけど・・、無理っぽかったです。(。>0<。)
この辺りで、雨も降りだしてきました・・戻ろう!~で、近くのセブンでアイスとジュース、さらに自宅近くのハローズで、更にアイス!
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