2020.5/17
午前中は、大学でしたが~久しぶりの好天と、また、週明けはくもりや雨・・じゃあ、どこか・・旧吉井町(現・赤磐市)です。
滝に向かう前に・・・宗形神社です。
【「延喜式」の神名帳にもその名が見られる三間二面流造り、絵皮葺の古社。鳥居(県指定)は、県内で3番目に古い年紀を残します。神社の裏にある竪穴は古代人の生活遺構といわれます。】
【備前国の戦国大名・浦上宗景により再興された神社で、15世紀代の石鳥居や江戸時代に建立された本殿が残ります。旧赤坂郡式内社のひとつ、宗形三女神を祭神として祀っています。】
ひっそりとしていたので、余計にかも知れませんが・・厳かさが、高まっているようです。
摂社も多く・・・稲荷神社も。
ぐるりと回りましたが、裏の竪穴は、気付きませんでした。
本殿は・・江戸期とのこと。
厳かです。
吉備高原の山中で・・そこそこには、山の中ですが。
【鳥居岡山県指定重要文化財(建造物)・本殿赤磐市指定重要文化財(建造物)】
【祭神:多紀理毘賣命・市寸嶋比賣命・田心比賣命・大己貴命・大日霎命・豊宇氣比賣命・須佐之男命・菅原神・速玉男命・伊邪那美命・事解男命・大山咋命】



さて、そこから2kmくらいでしょうか? 今日の目的地は「血洗の滝」です。
一応、駐車場もあって・・ろこに停めて・・歩いていきます。もう滝の音が聴こえてきます。
車も通れるような道路で・・進むと、降りていく案内が。
滝の音が大きくなって・・・鳥居が。
見えました。

やっぱりまずは、動画で・・・(笑)
おそらく・・水量も今日は多く(道路も濡れていましたし、ここ1~2日、岡山県も雨がありました)・・・
【高さ11mの二段の滝で、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が出雲で八岐の大蛇を退治した折に、血染めの真剣を洗い、滝水で身を清めたことからこの名が残されたといわれています。】
切り立った崖になっていますね。
滝のすぐ横に「滝神社」です。
そして下流側は・・もう静止画のような世界が拡がっていますが・・・どうも、堰き止めダムの様で(血洗池ダム)・・水量が多いので、もう、滝から流れてすぐ・・静謐に至っています。
本当に・・よい空気!
そして・・・この静謐な・・・下流側、ダム池の方ですが・・
さて~ダムの方へ歩こうかなって戻ろうとしたら、一組のカップルが来られました、おお、訪れる方もいらっしゃるのですね。
では・・・道路を丁度、ダム池沿いに・・
緑が深いです。
花に目をやってみたり……。
ほどなく行くと・・ダムの所・・その先、地図で見ると滝山ダムの方へと降りていく道は、通行止めになっていました。
トンボが居ました。
塩辛?
もう少し進むと・・こんなのも。
水も多いし、緑も深いし、いい気持ち(誰も居ないし・・・無密です)。

ダムとしては小さそうですが・・
なんだか、下に降りれるようになっているような・・・
草が一杯ですが・・一応、階段にもなっているし・・・その下も・・うっすらと分かるような小径・・さらに、滝の音が聴こえます。
音に導かれながら進むと・・おお、これってダムではなく・・自然の滝のような!!

その後、いろいろ調べてみたいのですが、名前ははっきりしません。
でも、結構・・いい感じですよ!
これは・・・自然ですよね、岩肌を流れ落ちているし。
川の名前も血洗川です。
さて、満足・・もう一度、ダムの方に・・途中で、滝の流れ落ちるところも、観れなくはないですね。
ダムをぐるりと一周、歩ければよいのですが・・地図で見るとそうはなっていないようなので・・ここで、逆戻り
この下流の滝(?)まで辿り着けたことで、大満足!
あらら・・何かの白骨???
それはそれとして・・
そうだ、血洗の滝で・・記録写真の自撮りを忘れたので・・もう一度、戻りましょう!
陽射しが少し増えました。
さて・・滝へ!!
祠も・・・結局、また、滝つぼ辺りまで・・
戻っていくと・・滝の流れ落ちるところ、覗けるところもありました。
駐車場で・・・近くの方かな、にゃんこの散歩に来られていました・・・今日、お出会いした3人目と4人目の方・・と、一匹!
で~地図や案内板で、本山寺(相当前に・・家族で柵原鉄道公園の帰りに、偶々立ち寄った記憶がありますが)まで、3kmくらい・・ただ、すれ違え無さそうな林道っていうか、遊歩道なんですが。。。。



行ってみましょう!
前は北側から・・今日は、南東から来たので、まずは、三重塔です。
お地蔵様の塔より・・【宝篋印塔:三重塔脇のものは寺内に現存する建造物としては最古のもの。建武2年(1335年)の建造で国の重要文化財に指定されている。また、霊廟前のものは応永6年(1399年)の建造で岡山県の重要文化財に指定されている】
【江戸時代初期の承応元年(1652年)津山藩主森忠政によって建造された。檜皮葺(ひわだぶき)で三重塔としては岡山県下最大である。国の重要文化財。昭和62年(1987年)7月より平成元年(1989年)12月にかけて解体修理が行われた。】
【常行堂:永正16年(1519年)建造、檜皮葺。岡山県指定重要文化財。】
【本堂:南北朝時代の正平5年/観応元年(1350年)創建、檜皮葺。国の重要文化財に指定されている。】
そして、石楠花!!!
境内あちこちに・・・・
女性の二人連れが来られていたので・・マスクもしました(結構、距離は離れていたのですが)
さて・・奥から前方に降りてきたって感じで、寺務所などのある辺り・・何か大きな工事が為されていました。
【寺伝によれば大宝元年(701年)佐伯有頼(さえきありより・後の頼観上人)によって現在地より南方の山頂に創建され「新山寺」と名付けられた。創建より約50年後に、唐の高僧鑑真和上により現在の本山寺に改められたとされる。】
平安時代の末期、天永元年(1110年)に現在の地に移され天台密教の山岳道場として、また、庶民信仰の霊地として栄えた。僧坊も120を数えたと言われている。長承元年(1132年)には法然の両親・漆間時国夫妻が安産祈願を行っている。】
【江戸時代になると津山藩の祈願所となり、藩主の森氏、松平氏に信仰された。境内には森氏の霊廟が建造されたが、のち松平氏の霊廟となり現在に至っている。】
お城の様です・・・
花を少し楽しんで・・
さて・・戻りましょうか・・・
再び三重塔
その奥に・・観音様
いろいろと、回りました。
もう一度・・三重塔を眺めて
その奥には・・歴代僧正の墓所でしょうか?
さて~なんか、良い午後でした。さて、帰宅しましょう!