2020.3/21
良く晴れた~そして西日本では春の様な陽気の今日、AMには法界院で打合せ……で、その後、午後は時間あるよなあってことで、熊山遺跡に登山してみることに。
熊山駅(山陽本線)の近くに、フリーの駐車場があって、そこに停めて、すぐ看板があるのでよくわかりました。
さて~情報によると結構、最初が急だとか・・・。
この時期、まだ、枯れ木も多くって(新緑には早い)・・・見通しもいいですね。
どんどん登りましょう(←この頃は、元気一杯)
途中、ヤマツツジか、心を和らげてくれます
結構、沢山、咲いていました。
まだまだ、登り
蹄岩と蛙岩
休憩舎がありまして、万富から熊山の辺りの展望がいいですね。
さて・・・まだ、進みますよ!~でも、最初の急な登りで、結構、足を使ったのか、ここから時々出てくる上りは、きつかったっす!(。>0<。)
次の展望台は、熊山池の所。
行けの水面の緑がきれいです。
さて、二つ井戸です。
そこから少し行くと……まず最初の目的地周辺の熊山遺跡・熊山神社の辺りです。
【創建年代は不詳である。本神社は熊山の山嶺に鎮座し、神位従四位下、式内外で一二八社の一であった。唐僧鑑真和尚が天平勝宝六年(754)に聖武天皇の招きにより入朝し、帝釈山霊山寺を開き地蔵菩薩を社内に安置し、国家泰平・牛馬安全の守護神とした。】
【享保年間(1716~36)に旧藩主池田候から墨印・社領高二十石・山林八町四面を賜ったが、明治維新の際、神仏混淆御引分けとなり、明治六年に熊山神社と改称した。明治三十二年八月二十八日に暴風のため社殿は焼失した。】
【建武中興(1334)の初め後醍醐天皇が西遷せられる時に、児島高徳が義旗をあげ、皇師の軍を起したことは有名である。】
この熊山の地は・・歴史が古いです。
さて・・・もう少し進むと・・・いよいよ熊山遺跡ですが、天然記念物の二本杉も。
これです。
まだ、梅が残っています。
青空にステキ………そして、熊山遺跡
動画で紹介!(笑)
石積ですよね。。
【岡山県南部の最高峰「熊山」一帯の山塊には、33ヵ所に及ぶ石積遺構が所在します。その中でも最大の石積遺構1ヵ所を国指定史跡「熊山遺跡」と呼んでいます。ピラミッドを思わせる、特殊な三段方形の石積遺構です。昭和31年9月27日に国史跡に指定されました。】
【岩盤上に基壇を築き、その上に三段の石積を構築していますが、二段目には四方に龕(がん・仏像などを納めた場所)がみられ、三段目の頂部中央には方形の竪穴が設けられています。方形竪穴の中には、陶製筒形容器と奈良三彩小壺が納められていましたが、奈良三彩小壺は現在失われ、陶製筒形容器は現在奈良県天理参考館に収蔵されています。】
【熊山遺跡の石積遺構に類似した遺構として、奈良県頭塔(ずとう)と大阪府土塔(どとう)が挙げられます。頭塔は、土を積み上げて塔身を造り、表面を石積と石敷で覆い瓦を葺いた仏塔です。造り替えが一度あり、上層頭塔は7段で総計44ヵ所の仏龕をもっています。塔身の一辺は24.2~24.8メートル、高さ約8メートルを測ります。『東大寺要録』・『東大寺別当次第』が記す、767年に東大寺の僧実忠が造った塔とされます。土塔は、行基(ぎょうき)が建立したとされる大野寺(おおのじ)境内に築かれた仏塔で、『行基年譜』(平安時代)には奈良時代の727年に起工したとあります。一辺53.1メートルの平面正方形に復元されており、土を積み上げ、その上に瓦を葺いた13段の塔です。】
そして、ここには。霊山寺という寺院。
熊山遺跡周囲に室町時代前期まであった霊山寺の名残はいくつか残っています。
14 世紀から15 世紀くらいかしら。こんな山頂で自給自足だったそうです。
この山頂での暮らし……勿論、山は信仰も修行も、でしたでしょうけれど・・・。
【頭塔と土塔は、その塔身を土で積み上げ、瓦を葺いて構築しており、規模が大きいです。対して熊山遺跡はすべて石積で築かれているなどの違いが認められるものの、出土した陶製筒形容器や奈良三彩小壺、仏龕の存在等から、頭塔や土塔と同様に奈良時代の仏塔と考えるのが適当なようです。】
さて、展望台は、今度は、南から西が良く見えて・・吉井川も!
絶景ですね。
動画でも。
近くに……紅梅が満開
きれいです。
和みます。
さて、まだ、この山頂近辺(いくつかの峰が連立しているので・・)でいくつか回りたいですけれど。
猿田彦神社も近く
こちらは小さな祠ですが。
後は、地蔵なども・・・
さて、少し離れた処が、この山群では最も高い熊山で507.8m~折角なので、頂上へ
ぐるりと~でも、鉄塔とかが・・・
国土地理院のスマホ用のアプリで・・・ここです。赤い矢印が現在地を表しています
DOCOMOの中継地ですね。
さて……もう少し、欲が出たので・・・油瀧神社参道って方へ、分け入ってみましょう。
暫く行くと・・想定外に立派なお社でびっくり。上之宮です。
このまま南下すれば、備前ですので。。。狛犬も備前焼
手前の一の鳥居に・・・
地図には・・・もう少し南下すると熊山姫大神神社下之宮・・まで、は行ってみましょう
こちらも・・・十分に立派ですね。
このまま降りると・・・香登の方に、あるいは福生寺の方に降りちゃうのでUターンですが。
再び、熊山神社の所……地図に鍛冶神社って書いてあったので、登山道としては、瀬戸町弓削に降りる道を進みました。
此方はこんな小さな祠・・で、もうこのまま弓削の方に、降りるかなってことで・・・
そうすると・・まず、炭焼窯遺跡
そして、石積遺跡
所謂、熊山遺跡以外の石積遺跡は、他に、沢山あるそうですが、すべて壊されているらしくって、それも謎とのこと。
そして、降りて行きます・・・尾根伝いとか・・そしたら。。。絶景!!!
吉井川ですね。
丁度、曲がっている処。
こっちの途を選んで正解!! これは本当に良い景色。
ここから暫く・・いくつか、こういった場所があります。
登らなかったのですが、途中の龍神山の山頂には、役行者の祠があって、一本歯の下駄を履いた像が納められているそうです。
いやぁ・・こちらの登山道は~最初から最後まで昇りの様ですが・・熊山駅からの(今回、上りで使った)と、どっちがいいかな?
感動的な絶景でした。
さて~降りて行って・・・今度は、弓削の八幡宮への通り側の途にすると・・・もう落葉の中でした。
そして、少し裏手から、八幡宮に到着です。
横には摂社の稲荷神社
本殿を回ります。
沢山、神社も参りました。
こちらも備前焼の狛犬です。
さて・・降りると広場でした。
なんと旧弓削小学校の跡地だそうで、二宮金次郎像も。
そして、登山道の案内
こっちに降りてきたのは、絶景も観る事が出来て良かったのですが、さて、ここから4km弱・・車を停めた熊山駅近くまで・・吉井川沿いを歩かなければ。
菜の花もキレイでした。
日が沈みました。
さて、今日の行程・・・赤で、辿った途を示していますが、直線距離で、16.1~16.2kmくらい。。。かつ、上り下りの途・・・頑張りました!!! |