2020.2/14
今日は、倉敷市水島支所で、倉敷市大学連携推進会議です。
担当の倉敷市企画経営室から、バレンタインデイの会議ってことで・・くらしきの水とともに、キットカットと、その裏には「大学♥倉敷」
会議も無事終了でした。
折角、水島まで来たのでって思って、亀島山・・でも、いつも登る公園ではなく・・・北側へ。
そこにはなんと、背の高い仏碑が・・・
全く知りませんでした。地下に戦時中の飛行機工場があるのはしっていますが・・
さて・・・その北側・・元々は「亀島」として繋がっていたのでしょうけれど、今、片道3車線の道路で区切られてしまっていますが(ここがつながっていると確かに「亀」に見える)・・その北側へ
亀島大明神と正一位稲荷大明神〜地図によっては、亀島龍神とも。奥で二手に分かれていました。
阿吽の狛犬は共通で、左右(南北)に祠ですね。
また、その合間にも・・いくつか・・
片方は・・やっぱり稲荷の様ですが・・・登って行くと、更に祠
こちらは29.3mの標高
昔は続いていた・・向こうは・・75mくらいあるようです。
向こうは、登るのが結構、急ですものね・・
さて、もう少し北の方へ・・・ちょっと用水路にしては広い水辺が拡がっていて・・・ここは、元々は、この島の海岸縁だったのかなぁ。。。。
そこには、沢山のお地蔵さん
【連島山塊中部の矢柄の南方に広がる平地で、近世の干拓地である。地区南端部に亀島山という丘(標高約30m)があり、かつては島であった。現在は水島工業地帯の造成や道路建設のために形を崩しているが、以前は亀のような形をしていた。地名もこの山に由来したもの。】この記載は、分断された北側の標高ですよね・・島自体は75mくらいと思えますもの。
で、【連島が島から陸続きになった後、連島は東西高梁川の河口部となったため、連島の南には広大な干潟が生まれた。延宝2年に倉敷支配所代官がこの干潟を18町歩干拓し、翌年に28町歩を干拓。ついで延宝6年には、成羽藩山崎氏が倉敷の許可のもと150町歩を干拓。これらの干拓地を併せて、南端部にあたる亀島の名を取り亀島新田村(かめじましんでんそん)と称し、元禄10年に成羽領分となり、明治に至る。】ってことですが、ここは、やっぱり干拓から残されて、元々の島からの海の縁でしょうね。
今は水門とかあって・・水鳥がゆったりと。
梅が・・
こちらが北側の丘っていうか、山っていうか、さっきこの頂上に居ました。
小さな畑とかに、花もあります。
さて・・南側の公園のPまで戻ろうか・・って晴れてきました。
帰路には、そうだ、ボンテ洋菓子店 笹沖店。ちょっとデザインもおしゃれなのを選んでみました。美味しい。
そして、今日は Valentine's Day 大槻家女子部のティラミスです。
|