2019.11/25
美作大学で第33回 おかやま生体信号研究会の幹事会と例会!
実は、2009年12月の創設時に、会長を務められた則次先生が、岡大工学部をご退官の後に、津山高専の校長、そして昨年4月からこちらに来られているので。
会長の呉先生との都合が今日が一番~3年前に津山高専で開催して頂いた時も、11/25でした。。。(笑)
大学コンソーシアム岡山などでも、美作大学さんには、お世話になっておりますが、実際に訪れるのは、初めてでした。
とっても素晴らしいトラックが敷地の真ん中に!
すこし曇りがちのそらでしたが・・・
今日は、月曜で、学生さんたちも沢山~結構、車で来ている子たちと、基本は女子学生が多い!
でも、学生さんたち、なんかイキイキしていました。
地域で教育は・・なかなか大変かとも思いますが。。。
キャンパスは、クリスマスモードも始まっていました。
さて、ちょっと早めに出発して、大学から~ナビ任せにしていたら、すごく細い峠を通って(御津と建部の間の浜坂峠)・・で、建部からはR53を北上・・・山が錦繡~で、津山に入る処で、中腹に塔とその下に銀杏!
予定外だったのですが、寄ってみました、長法寺
「あじさい寺」で有名だそうで・・・
でもこの銀杏も・・・
【薄田 泣菫(すすきだ きゅうきん、1877年(明治10年)5月19日 - 1945年(昭和20年)10月9日)は、日本の詩人・随筆家。本名、淳介(じゅんすけ)。『暮笛集』『白羊宮』などで島崎藤村、土井晩翠の後を継ぐ浪漫派詩人として登場。また、象徴派詩人として蒲原有明と併称された。大正以後は詩作を離れ、『茶話』『艸木虫魚』などの随筆集を書いた。】も、所縁の銀杏ですね。
さて薄田 泣菫は、岡山県浅口郡大江連島村(現在の倉敷市連島町連島字大江)の生まれのようですね。
さて・・本堂や鐘楼のある・・中腹へ
ひっそりと・・良い佇まいです。
観音堂も
さて、ぐるりと回ります。。。
それほど広くはない境内で・・木々も沢山
秋色に染まっています!
弁天堂も
さて、多宝塔はどこかな・・
まだ、山を登った辺りのようなので・・向かいましょう!
多宝塔の案内~可なり、登るようです。
仰ぎ見て・・登って・・・正対します
二重ですが・・立派ですね。
神南備山の中腹です。
時間があれば。。。山に登っても良かったのですけれど~
今度、また天気の良い日に来る機会があれば・・
降りてきました
さぁ、後にしましょう
さて、その後・・・結局、美作大学の駐車場に停めて・・・お土産と会費制のランチの千円を作るために・・観光センターまで、調べると、2.2kmくらいで徒歩圏内なので、宮川沿いを歩きました。そして、まずは、鶴山公園(津山城址)の麓、東よりの斜面の千代稲荷神社
川に朱色の橋が架かっていて・・よく分かります。
ちょっと恐々、その橋を渡りました。
【創建は承平4年(934年)とされている。元々は鶴山八幡宮の摂社として鶴山の中腹に立地していたが、森忠政が慶長9年(1604年)の津山城築城時に、城南の覗山に八幡宮と共に移築、次いで慶長13年(1608年)に八子に移された。】
【しかし、寛永11年(1634年)に津山藩2代藩主森長継の夢に現れ、「鶴山に遷れば永世城の鎮護とならん」というお告げにより祠を城郭の北隅の石垣の下(現在地から五丁程北の場所)に移され、さらに天和3年(1684年)、3代藩主森長義によって現在の場所に移された。】
【江戸時代は千代権現と呼ばれていた。】
それなりに・・・歴史が感じられました。
さて、その宮川沿い・・津山の北の方で、東からの横野川と西からの鵜ノ羽川が合流して、宮川で・・でも、短く、市街を北から流れて、吉井川に入っていきます。
土手も道路ですが、河川敷にも、ずっと遊歩道が・・
いろいろと植物系を眺めながらで、南下していきます。
なかなか、楽しい!
途中、衆楽園辺りからの用水路も合流していました。
鶴山公園(津山城址)の紅葉も見えてきました。
ちょっとそこには、今日は登りません・・・一度、訪れましたし、2016年のおかやま生体信号研究会の朝に衆楽園も行きましたので・・・
渡れるようになっています。
で、先ほどの千代稲荷神社も少し見えてきます。
大分・・・歩いてきました。
紅葉もいくつかあります。
いい風情
さて・・所用を終えて、逆戻り・・
もっと、いろいろと眺めやって・・・
いろんな鴨たち・・
鷺・・
そして、名もない・・草花を、なんとなく撮影していきます!
気付いてみると・・いろんな小さな花々
もう晩秋でも・・
名前も知らないってのも、いいのかも。。。(笑)
実もなっています。
枯れているのも・・・季節感
その気で見ていると・・本当に、いろいろありますね!
ちょっと楽しい!
これもまた秋です!
一部は。。ちょっと畑とか、植えられているのも・・かな?
トンビかなあ?
鴨たちも・・
さて~美作大学まで戻ってきました。
結局、往復4.5kmくらいを散策したのですが・・目的は津山観光センターでのお土産・・・その周辺もブラリ
これは・・なんだか、既に休業されている? 医院の前の像です。
【1867-1939 明治-昭和時代前期の実業家。慶応3年10月25日生まれ。家業の製糸業をつぎ,機械製糸の導入など改良と近代化につとめ,大正元年浮田製糸を設立。植林業,果樹園経営,奥津峡の観光開発なども手がけた。また,津山(鶴山)城東麓に窯をつくり「佐平焼」をおこした。昭和14年2月1日死去。73歳。美作(みまさか)(岡山県)出身。】
郷土博物館は、外からだけ・・
はい・・お土産も買いました。
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