2019.11/14
始発で東京~JST/科学技術振興機構の新技術説明会で、中国地域産学官連携コンソーシアム(さんさんコンソ)が企画の会で、岡山大学のは、9月に別途実施されて、今回は岡大以外~で、ライフサイエンスには、川崎医科大学からも出さねばって産学連携知的財産管理室の判断もあって、勝山教授の成果とともに、うちの李先生の内容を、大槻が発表してきました。
市ヶ谷です。
帯坂を少し登って・・・です。
で、少し時間があって、以前、よく訪れた東郷元帥公園~は、なんと、工事中でした。



往路の富士山には、雲が二つかかって・・・パステル画みたい・・・・
美濃~尾張~三河は雨でしたもの・・



東京は快晴になって~で、何処に寄って戻ろうかなってことで、そうだ久し振りに小石川後楽園!
なんか、本当に久し振りです。
入園して・・そうそう、こういう景色でしたって!
秋を探してって感じですね。
【江戸時代初期に水戸徳川家の江戸上屋敷内につくられた築山泉水回遊式の日本庭園(大名庭園)であり、国の特別史跡及び特別名勝に指定されている。】
徳川御三家なんですね・・
今日は~インバウンドの方々もいらっしゃいましたが、なんだか、高齢の方のグループでの散策って人たちが多かったですね。
なんか、以前の記憶では通れた道が、結構、工事中か何かで不通。
それでも秋色一杯です。
【1629年(寛永6年)、水戸徳川家水戸藩初代藩主・徳川頼房が作庭家・徳大寺左兵衛に命じて築いた庭園を、嫡子の光圀が改修、明の遺臣朱舜水(朱之瑜)の選名によって「後楽園」と命名して完成させた。出典は『岳陽楼記』の「天下の憂いに先じて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」によっており、岡山市にある後楽園と全く同じである。】
結婚式用の写真撮影のお二人!

さて~円月橋
そうそう、この橋もありました。
所々で・・自撮りも・・・
愛宕坂・・ここは、前から通れません(急すぎます)
さて、梅林の方へ・・そうか水戸徳川家だから、偕楽園からの梅!
秋色で・・染まっています
割と時間の余裕があるのでぐるりと回ります!
【7万平方メートル以上の広大な園内には、蓬莱島と徳大寺石を配した大泉水を中心に、ウメ、サクラ、ツツジ、ハナショウブなどが植えられ、四季を通じて情緒豊かな景色が広がる。】
昼過ぎで~今日は、秋の陽射しが美しい!
【また中国の文人たちが好んで歌った西湖や廬山も採り入れている。光圀は朱舜水を設計に参加させたといわれており、中国的、儒教的な趣好が濃厚である。】
なんか、奥の方に、稲荷神社がありました。
ほとんどの人は、来ない辺りです。
この酒呑処の裏手だったのです。
大きな池の方に向かいますが・・・
この辺りも、光がきれいです。
紅葉の盛りは、もう少し後でしょうね。
自撮りも(笑)~証拠写真的な・・?
【1869年(明治2年)の版籍奉還により藩主徳川昭武が邸宅とともに新政府に奉還し、そののち東京砲兵工廠の敷地の一部として陸軍省の所管となった。(この名残で現在でも砲兵工廠の遺構のいくつかを園内で見ることができる)】
それでも、秋の色が輝いています。
中之島は「蓬莱島」
【1874年(明治7年)以降、明治天皇の行幸および皇族の行啓を受け、外国人観覧者も多く、世界的にも名園として知られるようになった。】
まだ、回っていけます・・・中庭の方。
ここも通行止め区間があって、行き止まりで戻ってくる流れですね。
東側で・・・遊園地の後楽園近くです。
ここはここで、少し趣が異なる良い感じ。
しかし・・・広い!
【1923年(大正12年)3月7日、国の史跡および名勝に指定された。指定の際、岡山市の後楽園と区別するため「小石川」を冠した。1952年(昭和27年)には文化財保護法に基づく国の特別史跡および特別名勝に指定され、今日では、都立公園として整備され、一般に公開されている(有料)。】
山間も作られていて~端っこの方に「台」の跡がって、そこから眺めていたのでしょうか?園内を
そして・・・・蓬莱島を眺める・・・池です!

月末くらいには・・もっと色付くのかしら??
でも、なかなかに良い情景ですね。
結構・・・ゆったりと回らせてもらいました。
鳥たちも。。。
緑と紅
それぞれに・・・同じではなく~
さて、もう少しで一周!
西行所縁・・・
しかし、いろんな趣向があるのですね。
さて~もう、入ってきたところ・・枝垂桜の所です。
そろそろ・・・・東京駅に向かわねば・・・
良い時間でした。



さて帰路の・・・富士山は往路と違って、晴れた空にくっきり

富士市ではずっと動画を撮っていたので写真は、もう少し手前ですが。
冠雪し始めました。
良い眺め