2019.10/23
邑久光明園に行ってきました。園長の青木先生との関係で(先週の木曜には、ライフパークでのご講話を拝聴させて頂きましたが)・・・
なんと副園長先生は・・・うちの卒業生との事、ご挨拶させていただきました。また、園長先生に園内をご案内いただきました。
なんとこういった施設では唯一かも知れない・・・ゆるキャラ! 「こみょたん」
監房跡が、そのまま残っている(園からは結構な距離のある処で、前は、海沿い、あるいは船で行ったそうで)・・・1951年に最後の入獄者がいたそうです(1953年まで合法で存在していたとのこと)。
納骨堂です。前身の外島保養院(大阪の神崎川の突端・・室戸台風で壊滅的被害を受けて、こちらに移転)時代から>3,200柱以上とのことでです。
旧裳掛小・中学校第三分校:旧光明学園で1939年に開校で入所者が先生だったとの由。そして、1947年に第三分校になったとの由(第一は、愛生園の非感染者の子どもたち、第二が入所の子どもたちだそうです)。
分校の所に、二つの桟橋・・・立って写真を撮っているのが「患者桟橋」で入所者用、向い側は「職員桟橋」だったそうです。
しのびづか公園:昔は死亡しても町の火葬場は紫陽させてもらえず、園内に火葬場があっったそうで、ここは、愛生園との共同利用だったそうです。そこに残骨が納められています。さらに胎児等の標本が49体見つかった(2002年)ことを受けて、その胎児等の鎮魂のために、慰霊の碑が出来て、自治体より花を絶やさないように、とのことだそうです。



邑久長島大橋(人間回復の橋)です。
今日は・・・普段の見学・実習と違って、車を停めて・・・華僑までの渡船の桟橋まで(職員用ですよね)行ってみました。
本当に、近い距離ですが~でも、泳いで渡ろうとして、溺れて亡くなった入所者などもいらっしゃったそうです(瀬戸は、流れが急ですものね)。
光明園は今年、創立110周年だったそうです。



さて、実は、道がどれくらい混むのか分からなかったので・・結構、早めに到着、邑久漁港の辺りを「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」
牡蠣です! 牡蠣殻が・・沢山!
すごい!
かき資料館というのもありました(閉まっていましたが)。
穏やかな瀬戸の海ですね。
ここの港には、初めてきました。



そしてもうちょっと時間があって、MAPで調べると・・「伊木氏墓碑(3代~13代)」~えっと、徒歩で行けるかな?
【岡山藩首席家老で、虫明に陣屋を置いた伊木氏の墓碑です。虫明の千力山(円通山)には3代忠貞、4代忠親、8代忠福、11代忠順、12代忠直、13代忠正の墓碑、長島には5代忠義、6代忠興、7代忠知、9代忠真、10代忠識の墓碑があります。虫明周辺には家臣の墓も点々と残されています。】
山の中腹って感じですが・・
歴史を感じます!
長島の方にもあるそうですが・・・そうか、それは施設のできる前の江戸時代の事ですよね!