2019.8/17
夕刻から東京へ・・・東京駅日本橋口到着は、夜でした。
2019.8/18
朝から日本医師会館! 今日は、社会医学系専門医協会の第1回目の専門医試験! 業務執行理事として、参加です。
筆記試験、面接試験そしてグループワークで評価です。
実務担当の先生方・・・本当にお疲れ様です。
夕刻まで・・・一日仕事ですね。
無事に終了・・ですね。
お弁当は・・・豪華でした。
さて会場が本駒込の日本医師会館だったので、徒歩圏内~2.2kmくらい・・・千駄木~いつもの、須藤公園
日曜の朝早く…人も少なくって…猛暑の一歩手前
睡蓮が・・きれいに咲いていました。
涼しさが運ばれてきます。
加賀藩の支藩の大聖寺藩の屋敷跡との事です。
赤い実・・・
弁財天もあります!
【その後、長州出身の政治家品川弥二郎の邸宅となり、明治22年(1889年)に実業家須藤吉左衛門が買い取りました。昭和8年(1933年)に須藤家が公園用地として東京市に寄付、昭和25年(1950年)に文京区に移管されました。】
【深山幽谷を流れ下るような高さ約10メートルの滝で、水が落ちる滝音も聞かれ、暑い季節には涼を求めることができます。滝の名称については、公募の結果を踏まえ、平成15年(2003年)10月に「須藤の滝」と命名しました。滝は午前10時から午後4時まで流れています。】∼いつも早朝なので、滝の流れるのは、見た事ないのですよね!(笑)
【高低差のある台地と低地を巧みに生かした公園斜面地には、クスノキなどの大木が豊かな緑をつくりだしています。またその緑を背景として、滝からの水が流れ込む池には藤棚が設けられています。斜面地はササを主体とした植栽となっていますが、野草も生育し、春には可憐な花を咲かせます。】
ハチも来ていますね!
塩辛蜻蛉
高台の方に登りました。
向かいのお宅には、朝顔!
そこから北西・・にぐるりと回っていくのですが、マンホールに「高村光太郎旧居跡」と・・・どこ??って回ってみたら、看板
周囲は、普通の住宅街でした。
そこから本駒込に入って「富士神社」
【祭神は木花咲耶姫(このはなさくやひめ)。建立年は不明。拝殿は富士山に見立てた富士塚の上にある。江戸期の富士信仰の拠点の一つとなった。現在に至るまで「お富士さん」の通称で親しまれている。】
GoogleMapでは「古墳」との記載もあり【前方後円墳に近い形状で、古墳ともいわれている。】とのことです。
【初夢で有名な「一富士、二鷹、三茄子」は、周辺に鷹匠屋敷があった所、駒込茄子が名産物であった事に由来する。「駒込は一富士二鷹三茄子」と当時の縁起物として川柳に詠まれた。「一富士二鷹
三茄子」は江戸時代中期の1733年(享保18年)に江戸で刊行された『悉皆世話字彙墨宝(しっかい せわ じい ぼくほう)』(中村平五三近子)に、駒込富士神社にまつわる縁起物を詠った川柳「駒込は
一富士二鷹 三茄子」が文献上最古の記述として掲載されている。しかし、「一富士二鷹三茄子」を紹介する文献は同時代に数多く見られ、その中でこの時代より前(江戸時代初期説あり)に広く流布していたことが解説されている。】この説明版もありますね!
【天正元年(1573年)、本郷村の名主の夢枕に木花咲耶姫が立ち、現在の東京大学の地に浅間神社の神を勧請した 。寛永5年(1628年)、加賀前田氏が屋敷(上屋敷になったのは明暦の大火以降)をその地に賜るにあたり、浅間社を一旦、屋敷の外の本郷本富士町に移し、その後現在地に合祀した(時期不詳)。】
【江戸時代後期には「江戸八百八講、講中八万人」といわれるほど流行した富士講のなかでも、ここは最も古い組織の一つがあり町火消の間で深く信仰された。火消頭の組長などから奉納された町火消の纏を彫った石碑が数多く飾られている。】
【駒込天祖神社が当社を兼務しており、授与品や朱印は天祖神社の方で行う。また、氏子地域も無い。】この天祖神社は、この前、医師会館に訪れる用事のあった時に、お参りしましたね。
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