2019.7/28
日本免疫毒性学会の運営委員会でした。@慶應義塾大学薬学部!
東京タワーの真正面、ステキな談話室での会議でした。
元々は、共立薬科大学ですよね!



ちょっと早めに、芝公園近辺に到着で、「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」してみます。
緑が深い
東京タワーも垣間見れていますが・・・深い緑の奥へ
ここには~丸山古墳があるのです!
中腹というか・・・稲荷神社(圓山・随身稲荷です)。
そして、貝塚も
そこから登っていくところが、丸山古墳ですね。
【築造は5世紀中頃過ぎ(4世紀後半との説もある)とみられ、墳丘長125メートル(案内板では106メートル前後)という都内では最大級の規模である。江戸時代には後円部頂が崩され、広場になっていたとみられている。】
【1892年(明治25年)、3年間の欧州留学を終えた自然人類学者坪井正五郎は日本へ帰国する船上、故郷の風景を思い浮かべていると芝公園内にある丸山の高さに不自然さを感じた。翌年の1893年(明治26年)に坪井が調査をしたところ埴輪や須恵器などの遺物を発見した。しかし遺構らしいものは確認できず、発見された遺物も周囲の小型円墳由来である可能性も否定できなかった。】
伊能忠敬の・・・日本全図の道標のようなものもあります。
さて、降りて行って・・・芝生広場をかすめて・・
次は、芝東照宮です!
大きな公孫樹
まだ、この辺りに、紫陽花が残っていますね。
子どもづれさんたちが、おみくじを引いたりされていました。
【芝公園の一角にあり、元来は増上寺内の社殿であった。徳川家康が慶長6年(1601年)に還暦を迎えた記念に自らの像を刻ませた「寿像」を、自身が駿府城に於いて祭祀していた。元和2年(1616年)家康は死去に際して「寿像」を祭祀する社殿を増上寺に建造するよう遺言した。同年10月に着工し翌元和3年(1617年)2月に竣工した。この社殿は家康の法名「安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士」より「安国殿」と呼ばれた。これが芝東照宮の起源である。】
【その後、3代将軍家光により寛永10年(1633年)に新社殿が造営され、旧社殿は開山堂となった。寛永18年(1641年)には移転改築がなされた。駿府城より移築された惣門、福岡藩主黒田忠之が寄進した鳥居、本殿の周囲に拝殿、唐門、透塀が造営され豪奢な社殿が整った。】
そこから梅林の方へ、
花々も・・
銀杏!
そして・・・芝生公園の方へ・・・
東京タワー!!
朝は雨だったのかな、でも、青空も覗いてきて・・・暑くなってきました。
花々が一杯
芝生では親子づれも、遊んでいました。
「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」を楽しみましょう!
色とりどり
どの花も、少し暑そうな・・・夏本番
そうなんだ、仕事の会議ですが・・日曜日ですよね!
いい空間です。
さて~そろそろ会議へ。



さて、会議で、実は、今回で、大槻は評議員・理事を降りることになって・・・最後、中村先生、黒田先生、吉岡先生が、どうも元々夕食を共にする会に、誘われて、浜松町の近辺の摂津さん、インド・バングラデシュ系の居酒屋さんで、沢山飲みました。
なんか、一風変わった料理が多い! 美味しい!