2019.7/06
倉敷市庄支所:そうです、期日前投票~早々と参議院選挙でした。
花壇の花、そして窓に緑
夜は・・・頂き物で、海老と穴子




2019.7/07
七夕なんて忘れて、ずっと仕事をしていましたが、16時前くらいに終了できました。
「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」で、総社の井山宝福寺!
枯山水に・・・オブジェ
紅葉も有名ですが・・
鐘楼や方丈の方・・・。
駐車場も閉まる手前で・・人も少なかったのです。
落ち着いた景色が拡がります。
山門の所にもありましたが、幼少の雪舟が、縛られていますね!
ぐるりと回っていきましょう!
ただ、駐車場が17時で閉まるって書いてあったので、一旦、戻るのですが・・・。
井戸もあります。
ここは・・・穏やかな良い空間ですね。
【臨済宗東福寺派の寺院である。山号は井山(いやま)。本尊は虚空蔵菩薩。宝福禅寺とも呼ばれる。室町時代の画僧雪舟が修行したことで有名な寺院である。】
さて~一度、車を動かして・・・
【宝福寺は創建の年代は不明であるが天台宗の僧・日輪によって開かれたとされ、元来は天台宗の寺院であった。鎌倉時代の貞永元年(1232年)に備中国真壁(現在の総社市真壁)出身の禅僧・鈍庵慧總によって禅寺に改められた。】
さて、今度は西側の駐車場に停めて・・・三重塔!
朱塗りですね。
【当時の天皇であった四条天皇は病気となっていた。鈍庵が天皇の病気平癒のために祈祷を行ったところ、壇前に客星が落ち、天皇の病気は平癒したという。星が落ちた場所に井戸を掘り「千尺井」と名付けた。これが山号「井山」の由来となった。その後、寺院は天皇の勅願寺となり発展した。一時は塔頭・学院55、末寺300寺を数えるほどの巨刹となり隆盛を誇った。】
【戦国時代に起こった備中兵乱のため、天正3年(1575年)には三重塔を残し伽藍のことごとくを戦火により失った。その後、江戸時代に至るまでの間は荒廃していたが、江戸時代初期に復興され、再び山門・仏殿・方丈・庫裏・禅堂・鐘楼・経蔵の禅宗様式七堂伽藍を備える本格的な禅寺となった。本堂にあたる仏殿は享保20年(1735年)に再建されている。】
花々も・・・
静かな黄昏時です。
今日は結構、疲れたので・・・ちょうどよい癒しでした。
街から、それほど遠い訳でもないのですが、いい空気です。



さて、帰路で、ブランノエルさん・・・高校生、期末試験、頑張れ!

大槻はティラミスでした。美味しい!
そして、キキちゃん!