2019.6/19
4年生・環境社会医学ユニット・見学・実習の今年度最終回!
現代医学教育博物館の耐震工事が始まったので、出発場所は、福祉大グラウンド横でした。



大槻引率班は「みずしま財団」さん~いつも通りで、塩飽さんがバスに乗り込んできてくださいました。
そこから八間川沿い・・水島臨海鉄道の高架を抜けて…
松竹梅の交差点を南へ~この辺りは干拓地~福田公園の横を抜けますが・・・写真を撮り損ねましたが、水門の奥てに石垣があって、干拓の名残
【干拓(かんたく)とは遠浅の海や干潟、水深の浅い湖沼やその浅瀬を仕切り、その場の水を抜き取ったり干上がらせるなどして陸地にすること。主に農地として開拓する時に用いられる。干拓された土地を干拓地(蘭: polder)と呼ぶ。水域に土砂や廃棄物等を投入して土地を造成する埋立とは異なる。】
水島コンビナートが見えてきています。~そこから呼松町へ入ります。
そしてコンビナート内へ・・・昨年度まで、旧鷲羽山スカイラインの展望台から水島の地形を見せてもらっていましたが、昨年の西日本豪雨被害で現在・通行止め。今年度は、亀島山に登ってみたり、などもあったそうですが、そこまで展望も芳しくないってことで、バスであちこちに~って思ったら、バスが左折箇所をそのまま松江地区(王島山:後鳥羽上皇の王子/皇子が流刑にあった元々は島で「王」島との由~の麓)に入ったので、今回、初めて、倉敷市大気汚染測定所に訪れました。
ここだったのですね、知りませんでした。
倉敷市には25か所あるそうです(岡山県内の約半分)
近くの民家の脇には、紫陽花!
再びバスで。コンビナート内へ・・集合高煙突(180m:赤白がそれぞれ20m)
そして、王島山を西から眺めつつ、この板敷地区は、1965年にアクリロニトロルの流出事故があり、住民130名が避難~そのまま集団移転を余儀なくされた(旧来の住民よりコンビナート企業を優先した・・・)エピソードがあるそうです。
水島臨海鉄道沿いに・・港の方へ。ピーポーと呼ばれています、そして、栄・常盤・弥生などの駅名は・・・名古屋の街の名前~水島の現・三菱自工は、当初、名古屋の航空機製造が移転して、人たちも、名古屋から転居で、因んだ町名を付けたそうです。
水島公が見えてきました。
いつものコースと異なって、三菱自工裏手から、JFE南門の方へ・・・昔、滑走路だった後が道路になっていますが・・・そこは、風向きが分かる道路になっていて、つまり、ここにコンビナートを造成するってことは、その風向きで、大気汚染物質が旧来の農村・漁村に流れることも分かっていたってことだそうです。
さて亀島山の脇((戦闘機の地下工場のあった処←名古屋航空機製作所岡山工場)を抜けます。
そして、倉敷市環境学習センター 2012年オープンですね。
大気汚染のリアルタイムモニター表示

ここで大気汚染公害の被災患者さん、支援グループの代表の方(元は、水島協同病院の事務長さん)、そして、裁判支援をされた水島協同病院・里見院長先生の話を聞かせて頂きます。
いつも感謝です。
里見先生!
怒りが、原告団支援の意見書を書く糧になったとのこと。
ありがとうございました。