2019.2/08
産学連携知的財産管理室関係で、総社市の長野病院さんを訪問。実は、学生の見学・実習の「大樹」さんでも、お世話になっています。



国道180号線を挟んだ向こうは、総社宮!そして沼田八幡宮
紅梅です!
春近し…
白梅も咲いていました。
梅の香もほんのり
そうか、もう2月も・・・そろそろ中旬



さて、改めて・・・
沼田八幡宮と続いていて、大き目の池があります。
摂社も沢山!
どんよりした曇り空ですが…
それはそれで…神聖な場所ですし。
訪問の前後で、境内には訪れました。最初は、それほど寒くもなかったのですが…。
しかし、さすがの備中国総鎮守・立派なお社です。
【当地には総社ができる以前、仁徳天皇の皇妃・八田皇女の名代として八田部(八部)が設けられたという[2]。のち御友別(応神天皇妃の兄)の子孫が当地に移住し国造となり、野俣神社(現 境内社の沼田神社)を建て周辺一帯の総社としたとされる。大化後、当地に備中国総社が創建された。平安時代中期、『延喜式神名帳』には式内社として「備中国賀夜郡 野俣神社」の記載があるが、沼田神社はこの論社とされている。】
非常に広い境内です。
【室町時代には戦火に遭って社殿が焼失、1429年に再建されたとされる。天正年間(1573年-1592年)に再び焼失、貞享4年(1687年)に再建され、彩色二十四孝の絵馬が奉納された。これにより商家の信仰が増し、豪商の西戎屋等により京都の一流画家の描いた絵馬が奉納されるなどして繁栄した。周辺は門前町・宿場町として発展し、のちの総社市の礎を築いた。】
丁度、小さな小学生たちが、下校で、境内を走り抜けていきました。
市の中心にこういった神社があるのもいいですね。
池の向こうは、沼田八幡宮ってなっています。
【岡山県南部、総社市の中心部に鎮座する。市名・駅名の「総社」は、当社に由来する。古代、国司は各国内の全ての神社を一宮から順に巡拝していた。これを効率化するため、各国の国府近くに国内の神を合祀した総社を設け、まとめて祭祀を行うようになった。当社はその1つで備中国の総社にあたる。】
そのまま都市名ってのは、珍しいような……。
参道の横には、幼稚園もありました。
【前庭の三島式庭園は古代の様式を今に伝えており、後楽園が築造される際に参考とされた。現在、境内は総社市指定史跡に指定されている。】
そうなんだ、三島子規庭園っていうのか!
いい和みの時間でした。



総社に行ったので・・・シエルブルーさんでお土産