2018.12/21
ロックウール工業会の知己の方に招聘してもらって、所用:台東区柳橋です。
 
なんか、その後の忘年会にもお邪魔させてもらいました。
浅草橋バンバールです。ワイン飲み放題!
飲みすぎで・・最終ののぞみでは、ほとんど、寝ていました(岡山終点で良かった!)



さて往路ののぞみは近江平野は霧のなか・・でも、伊吹山はくっきり
で、富士山も裾野は、なんだか霞んでいました。
雲はかかっていませんけど・・・



ちょっと早めの到着で、両国駅からの「すみだ北斎美術館」
企画展示は「大江戸グルメと北斎」でした。
常設展は、可なりデジタルに学べて・・・赤富士や神奈川沖浪裏なども・・
そういえば北斎の娘の・・・TVドラマもありました。
良い処に訪れました。



さてそこから目的地に向かって行くと「回向院」
【山号は諸宗山。正称は諸宗山(一時期、国豊山と称す)無縁寺回向院。墨田区本所地域内に所在していることから「本所回向院」とも呼ばれている。】
【1781年(天明元年)以降には、境内で勧進相撲が興行された。これが今日の大相撲の起源となり、1909年(明治42年)旧両国国技館が建てられるに至った。国技館建設までの時代の相撲を指して「回向院相撲」と呼ぶこともある。1936年(昭和11年)1月には大日本相撲協会が物故力士や年寄の霊を祀る「力塚」を建立した。】
【あらゆる宗派だけでなく人、動物すべての生あるものを供養するという理念から、軍用犬・軍馬慰霊碑や「猫塚」「唐犬八之塚」「オットセイ供養塔」「犬猫供養塔」「小鳥供養塔」、邦楽器商組合の「犬猫供養塔」(三味線の革の供養)など、さまざまな動物の慰霊碑、供養碑、ペットの墓も多数ある。江戸三十三箇所観音参りの第4番札所であり、この馬頭観世音菩薩も徳川家綱の愛馬を供養したことに由来している。】
【著名人の墓として、山東京伝、竹本義太夫、鼠小僧次郎吉など。 参拝客のために両国橋が架けられた。】
落語の「猫の恩返し」
【振袖火事(ふりそでかじ)と呼ばれる明暦の大火(1657年(明暦3年))の焼死者10万8千人を幕命(当時の将軍は徳川家綱)によって葬った万人塚が始まり。のちに安政大地震をはじめ、水死者や焼死者・刑死者など横死者の無縁仏も埋葬する。】
墓地も含めると、結構、広い境内ですが、ビルの狭間でもあります。
でも、両国近辺も、偶に訪れていましたが、初めてでした。



両国橋で、墨田川を越えます・・・スカイツリー!
快晴ですね。



そこから柳橋・・・結構、ドラマとかで出てきます!
【柳橋は1630年の江戸時代に徳川幕府が設置した米蔵「浅草御蔵」の一部として指定されており、現在の柳橋2丁目には三河岡崎藩邸や信濃上田藩邸などの武家屋敷が置かれており官有地となっていた。浅草御蔵は隅田川の西岸、神田川北側の一画に、南は現在の柳橋2丁目より、北は蔵前3丁目にかけて位置していた。浅草御蔵は幕府の米蔵であり、地租が金納となったのちは米廩(べいりん)、または米蔵と呼ばれ、1878年(明治11年)以降は大蔵省内において大阪など全国の米蔵を掌握し、米価の調節など貯蓄米にかかわる事務を行った常平局が管理し、浅草御蔵の地に本局をおいた。柳橋1丁目は浅草旅籠町などが中心に江戸前の料亭が軒を連ね、特に柳橋芸妓で知られた。】