2018.11/30
岡山県医用工学研究会の見学会は、今回、遠出で、岐阜県関市のメニコンの関工場。
今年度から会長の岡山大学システム生理学の成瀬教授が、以前からの共同研究などでお付き合いがあるそうで……。
でも、集合場所は、名鉄犬山駅!
滅多に乗らない名鉄で、庄内川を越えて向かいました
犬山には明治村などもあるのですが~訪れたことは無かったですね。
そして集合時間の後に、ランチ~成瀬先生は、グルメで、ワイン通で・・・で、駅近くのフレンチでランチ!
Bistro Sou-Souさんです。美味しい~大槻は牛でしたが、その他イベリコ豚の方も、そして成瀬先生はジビエの季節ってことで、イノシシでした!



さて、今後も来ることもないかも知れないので・・・集合時間より相当早めに到着して、せめてお城へ……で、本町交差点からお城に向かう町並みは・・・レトロな雰囲気
いい雰囲気です。
倉敷もそうですし、この間訪れた富山の北前船廻船問屋の町並みも・・保存されていた処に、所々、グルメや小物・雑貨などのお店があって…。
なんだかほっとします!
吾平餅とか鮎とか…お店もいろいろ
風情を楽しみつつ、時間もあるので、素通りですが (。>0<。)
蔵などもあったり
着物を着たりして歩くと情緒も増すかも?
楽しい町並みです



さて国宝・犬山城が見えてきました。
城下には、針綱神社や三光稲荷神社などもありますが、まずは、お城へ、天守閣へ。
紅葉が深くなっています。
【現在は天守のみが現存し、江戸時代までに建造された「現存天守12城」のひとつである。また天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は姫路城、松本城、彦根城、松江城)。城跡は「犬山城跡」として、国の史跡に指定されている。】
【尾張国と美濃国の境にあり、木曽川沿いの高さ約88メートルほどの丘に築かれた平山城である。別名の白帝城は木曽川沿いの丘上にある城の佇まいを長江流域の丘上にある白帝城を詠った李白の詩「早發白帝城」(早に白帝城を発す)にちなんで荻生徂徠が命名したと伝えられる。】
入城の門の周辺も紅葉!
入る手前でも、季節を満喫
さて、場内に・・・紅葉の中に、四季桜がきれいに咲いていました。
遠景に天守閣
天守閣もすぐそこにあります。
そして桜の横には・・・圧倒的な紅葉も
【前身となる岩倉織田氏の砦を織田信長の叔父・織田信康が改修して築いた城であり、その後、池田恒興や織田勝長が入城、豊臣政権の時に石川貞清(光吉)が改修し現在のような形となった。また、小牧・長久手の戦いや関ヶ原の戦いにおける西軍の重要拠点となった。】
まずは、城内へ!
階段がすごく急です!
だんだんと登っていきますが・・木曽川も・・
さて最上階・・・天守閣からの眺めは絶景です。
木曽川が天然のお濠ですよね!
統治下の町を眺めるって気分ですよね。
【江戸時代には尾張藩の付家老の平岩親吉が入城し、成瀬正成以来、成瀬氏9代が明治まで城主として居城とした。現存する天守が建てられた年代については天文期説、慶長期説などがあるが、現在のような姿となったのは成瀬正成が改修した1617年(元和3年)ごろである。2004年(平成16年)3月末日までは日本で唯一の個人所有の城であったが、同年4月1日付けで設立された財団法人犬山城白帝文庫(現在は公益財団法人)に移管されている。】
歴代城主に今風の写真があるのはすごい!
そして・・・成瀬会長も元々名大~【江戸初期からの城主は「成瀬」、で、2004年に成瀬淳子:犬山成瀬家 第13代当主・成瀬正浩の妹で、最後の城主となり、個人所有から法人所有への移管を行った、とのことで、成瀬教授は・・どうも、その一族? あるいは世が世なら当主??です】
また、城内の紅葉も楽しみましょう!
満喫!
【犬山城の天守は、外観3重、内部は4階、地下に踊場を含む2階が付く。天守南面と西面に平屋の付櫓が付属する複合式で、入母屋2重2階の建物の上に3間×4間の望楼部を載せた望楼型天守である。窓は突上窓と火灯窓、両開き窓なと、地階1・2階出入口を含めて、総延面積は698.775平方メートルに達する。天守台石垣は野面積という積み方で、高さは5メートルある。天守の高さは19メートルある。】
観光の方々も増えてきました。
高齢の方に、天守内の階段は結構、きつそう~甲冑姿で、行き来していたのでしょうか??
さて~時間もあるので、そろそろ
さすが、国宝でした。
【公益財団法人犬山城白帝文庫が所有・管理する文化財は、犬山市文化史料館(所在地:大字犬山字北古券8)本館の主要施設である犬山城白帝文庫歴史文化館に収蔵されている。当施設は、美術工芸品、刀剣類、古文書、絵地図などを収蔵している。】
さて下城!



そして小高い山の麓には、針綱神社と三光稲荷神社~先に登城したので、少し裏手から入っていく感じになりますが。
秋の色が濃い!
【針綱神社:創立年は不明。式内社であり、927年(延長5年)の延喜式神名帳には尾張国丹羽郡「従一位針綱明神」または「正一位針綱明神」とされている。また、1186年(文治2年)の尾張国内神名帳には「針綱名神」されている。】
【元々の鎮座地は犬山城天守閣付近であったが、1537年(天文6年)、織田信康により、白山平に移転する。1606年(慶長11年)、犬山城城主小笠原吉次により、犬山城城下町の名栗町に移転する。「白山妙理権現」「白山針綱大神宮」】
摂社も沢山
【1635年(寛永12年)、針綱神社の祭礼に対し、城下町の下本町、魚屋町からの練り物が出される。1641年(寛永18年)には下本町が馬の塔を車山に変えて人形からくりを奉納し、これが犬山祭の原型となる。1649年(慶安2年)、犬山城城主成瀬正虎により車山や練り物を奨励したため、さらに盛んになったという。江戸時代は「白山妙理権現」「白山針綱大神宮」と呼ばれ、歴代犬山城城主の祈願所、庶民の信仰を集めたという。】
立派な神社です。
【東海鎮護、水産拓殖、五穀豊饒、厄除、安産、長命の神として、濃尾の総鎮守とされている。】
【安産、子授けにご利益があるという。これは、1537年(天文6年)、織田信康が自ら手彫りの狛犬一対を奉納して安産祈願したことからである。以来、戌の日に安産祈願すると良いとされている。】
本当は、城下町から入ってお参りなのですが・・・(ノ_・。)
まぁ、それはそれで・・・ご勘弁を。
お祭りはさぞ賑やかでしょうね!
さて、まずは、針綱神社を終えて…



すぐお隣が三光稲荷神社です。
お城への道筋からも入れます。
【創建時期は不明。かつては三狐山(三光山)に鎮座し、犬山城主織田信康の保護を受けていたという。江戸時代以降、犬山城主成瀬氏の守護神とされる。神仏習合で三光寺とも称していたが、明治時代初期の神仏分離により三光稲荷神社となる。】
【1964年(昭和39年)、現在地(針綱神社西)に移転する。】
【猿田彦大神を祀る猿田彦神社は犬山猿田彦神社ともいい、三光稲荷神社の境内社であるが、独立した存在である。社務所でも三光稲荷神社と猿田彦神社を併記している。】
成程・・・歴史も知らないと複雑~なので、城下には本当に沢山の神社がってことですね。



そして、道を挟んで向かい側には、犬山神社
【この地には犬山城の西御殿(平岩親吉の屋敷を移築した建物)が存在した場所である。成瀬正成以降の歴代犬山城城主を祀るほか、戊辰戦争から太平洋戦争までの戦没者を祀る。】
こちらは少しひっそりとしていて……。



さて~工場見学も終えて、新鵜沼駅から→名古屋→岡山→倉敷です。