201837/28
台風12号が、小笠原諸島から関東の南海上で西へ進路を曲げていくという珍しい走行をしている中、慶應義塾大学芝共立キャンパスで、日本免疫毒性学会運営委員会でした。
山浦先生、浅野さんのおかげてステキな部屋~お菓子の差し入れも
1号館5階の「談話室」で、ベランダは薬草園~東京タワーが真正面
その他の花々も雨に濡れていますけれど~
和みます!
薬学部のキャンパスです。
これまでは貸会議室だったので、経費も助かります。
13-16:15くらいまでみっちりと討議できました。



新幹線で品川へ、そして往路では浜松町から歩いたのですが、降りた途端に大粒の雨
それでも増上寺に参ってみました。
背景は、勿論、東京タワー
これまで幾度か、訪れたこともあったのですが、なんか、久しぶりです。
夏は緑も生い茂っています。
大きな伽藍が並んでいます。
【9世紀、空海の弟子・宗叡が武蔵国貝塚(今の千代田区麹町・紀尾井町あたり)に建立した光明寺が増上寺の前身だという。その後、室町時代の明徳4年(1393年)、浄土宗第八祖酉誉聖聡(ゆうよしょうそう)の時、真言宗から浄土宗に改宗し、寺号も増上寺と改めた。この聖聡が、実質上の開基といえる。】
【開基聖聡の弟子には、松平氏宗家第三代松平信光開基の信光明寺開山釋誉存冏や、松平氏宗家第四代松平親忠開基の大恩寺開山了暁慶善がおり、また松平親忠の第四子で、浄土宗総本山知恩院25世の超誉存牛や、徳川将軍家菩提寺大樹寺開山の勢誉愚底はいずれも聖聡の孫弟子であり、中世から松平氏や徳川氏とのつながりが深かった。】
浄土宗です。
さて、ここは徳川将軍墓所でも知られています。
今、公開中のようですが、時間がありませんでした。
そして、千躰地蔵菩薩です。
さらに西向観音堂
さらに鐘楼の方へ……。
由緒ある鐘楼!
そうそう、この奥に熊野神社
さて、ぐるりと回りましたね~。
もう一度、重文の大門から外に出て~。
道路を挟んで向かいの芝公園の復活・松原を抜けて会場へ。
帰路は大丈夫かなぁ~会議途中でも大粒の雨が落ちてきていたけど~~~。



台風12号に追いつかれないように、のぞみは西へ。品川駅で買った塚田牧場さんの、三種のいろ鷄どり弁当❗️ ご馳走さまでした。
 
吉田先生は、旭川に飛べたそうです。黒田先生は、北九州へ行く便が結構で、品川→小倉を新幹線に変更とのことです。、井上先生は、御殿場線が15時以降運休になっているのでバスなどで戻られるそうです。大槻は、無事に台風に追いかけられながらも、倉敷まで雨もなく到着しました。