2018.4/06
群馬県伊勢崎(いせさき)市
 
実は上記のクリニックさんに、共同研究関係の依頼に伺いました!ご快諾、ありがとうございました。



両毛線で伊勢崎駅です!
南口から出て…歴史探訪ですね!
まずは旧時報鐘楼~出身者で明治時代に横浜で貿易商をしていた小林佳助の寄贈だそうです。
群馬県内最古の鉄筋コンクリート建造物
後で聞いたのですが、ここのモダンな北小学校の場所は、旧お城・・・酒井家で2万石だったようです。
そこから道路を挟んで向こう側には「いせさき織物」の會館があって、そこに明治時代の県議「下城弥一郎」と「森村熊蔵」の碑~付帯とも伊勢崎織物の振興に努めたとのことです。
早く春の訪れた関東・・北関東でも、街角は花盛りで。
楽しく歩を進めます。
さて、次は、「いせさき明治館」
1912(明治45)年に今村医院として建てられた伊勢崎を代表する木造洋風建築
入ってみると係の方が来られてとっても丁寧に、案内をしてくださいました。感謝です!
そして、伊勢崎といえば銘仙【銘仙は、一般にいう“平織りの絹織物”です。大正から昭和にかけての女性の普段着として、また、お洒落着として日本全国に普及しました。 経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を交互に組み合わせる織物ですが、銘仙は、経糸の色と緯糸の色を故意的にずらすことで、色の境界がぼけるような柔らかい見栄えとなり、これが当時の流行となりました。この織りの技法を「絣(かすり)」といいます。】です。
多くの展示がありました。
境界がかすれているのが、わかりますよね!
素晴らしい~また、説明をしてくださることで、とっても良く理解できました。~欄間の格子の工夫なども。
機織りの器具も、展示なのか、実際なのか~~。
で、今村医院は、その後、黒羽根医院と名前を変えたそうですが、今も、黒羽根医院さんがありました。
代々、続いているのですね!
次の街角は「町田佳馨生家」~民謡の父らしいですが、生家は醤油醸造業を営んでいた豪商で、威風堂々~今も住居として現役の様です。
さて、花々を愛でて、次は伊勢崎神社
13世紀にこの地の鎮守神として建てられたといわれるそうです。
1926(大正15)年の稲荷神社の合祀前は飯福神社と呼ばれていた。
本殿は1848(嘉永元)年の建築とされていて~この手の込んだ彫の深い彫刻には・・・・圧倒されました。
拝殿と幣殿は1936(昭和11)年に宮大工佐藤源六氏によって建造されたそうですが、こちらも彫りはすごい!
境内には、花々も・・多く、良い神社です。
彫りや、花々で楽しませて頂きました。
少し曇天ではありましたが~。
芭蕉の句碑なども
心躍る参拝でした。
さて、次は…呑竜通りを曲がって……相川考古館です。
エイド時代の町役人の居宅(脇本陣)である当時の建物がそのまま展示に使われています。
ここでも係の方(当主さんでしょうか???~あるいは町の歴史に詳しい方?)が、とっても丁寧にご説明くださいました。感謝です。
創始者相川之賀が多年に渡り収集した資料が展示されていました。
そして、なんと国指定の重要文化財、埴輪の4点が素晴らしい!
さらに伊勢崎周辺の針悪い、上植木廃寺の礎石・古瓦なっどの展示もあって、なので、考古館なのです。
お茶室は「觴華庵」と称して、ちょっと一工夫ある茶室になっていました。稲荷も蔵仕様で・・・金庫を兼ねたそうです。
堪能しました。
ありがとうございました。
  
そこからほど近く・・・伊勢崎河岸の石灯篭
 
そして、その横に(上記の相川考古館で教えてもらいました)~現役の藁ぶき屋根の住居・・住まわれているようです。
そして、広瀬川や、でも、伊勢崎の家々や街角、花がいっぱい・・・車窓からもそうでした。



さて、新幹線の「のぞみ」から「はくたか」で高崎へ~ですが、JR東日本の新幹線ホームは色とりどり!!
はくたか~は、青い、金沢行です。
高崎駅で両毛線(これまで前橋で学会があった時、乗った事はあるのですが)の宇都宮行で伊勢崎へ
利根川~そして霞んだ彼方に赤城山
広瀬川? そして、伊勢崎駅、到着
翌日は、東大で社会医学系専門医協会の会議、今度は、東部伊勢崎線で仲御徒町を目指します。
東武の新伊勢崎駅から館林、久喜を経て北千住、日比谷線で仲御徒町駅までの旅でした。明日は会議だ!