2018.2/11
京都駅そばのメルパルク京都で、日本衛生学会理事会(現理事と、3/22の社員総会後から就任の新理事もプレ理事会で、新体制では、理事長に選出して頂いています、頑張らねば)。
京都らしい可愛いお弁当!



ちょっと早めに京都に着いて……駅からそのまま東に足を伸ばすと、三十三間堂です。
実は初めて!
【建物の正式名称は蓮華王院本堂)。元は後白河上皇が自身の離宮内に創建した仏堂。本尊は千手観音で蓮華王院は千手観音の別称蓮華王に由来する。】
お庭から拝観
三連休の中日で、それでも拝観客さんも多いですね。
本堂の中は、撮影禁止で、でも、国宝千手観音座像には本当に圧倒されました。
また、風神雷神像も…迫力!
木造千手観音立像(1,001躯)では、後で、日本衛生学会の事務局・宇野さん(京都在住)に聞くと、どの像か一体、自分の顔を見付けることが出来るそうですが、そこまでの余裕はなく、の、拝観でしたけど。
花々にも和みます。
蝋梅も
鐘楼を抜けて……。
南側から西側の方へ。
木造二十八部衆立像もそれぞれにさすがの像です。
西南側に久勢稲荷明神
そこから通し矢の本堂裏手の西側

【江戸時代には各藩の弓術家により本堂西軒下(長さ約121m)で矢を射る「通し矢」の舞台となった。縁の北端に的を置き、縁の南端から軒天井に当たらぬよう矢を射抜くのである(右上浮世絵画像参照)。「通し矢」の名もこの「軒下を通す」ということからきている。強弓を強く射なければ到底軒下を射通すことができない。それゆえ弓術家の名誉となったのである。その伝統に因み、現在は「楊枝のお加持」大法要と同日(1月中旬)に、本堂西側の射程60mの特設射場で矢を射る「三十三間堂大的全国大会」が行われる。】だそうです。
【この地には、もともと後白河上皇が離宮として建てた法住寺殿があった。その広大な法住寺殿の一画に建てられたのが蓮華王院本堂、今に言う三十三間堂である。上皇が平清盛に建立の資材協力を命じて旧暦の長寛2年12月17日(西暦1165年1月30日)に完成したという。創建当時は五重塔なども建つ本格的な寺院であったが、建長元年(1249年)の火災で焼失した。文永3年(1266年)に本堂のみが再建されている。現在「三十三間堂」と称される堂がそれであり、当時は朱塗りの外装で、内装も極彩色で飾られていたという。建築様式は和様に属する。桃山時代には、豊臣秀吉の東山大仏(方広寺)造営により、三十三間堂もその境内に含まれ、周囲の土塀や門などが整備された。「三十三間堂」の名称は、間面記法による表記「三十三間四面」(#構造)に由来する。「33」は観音に縁のある数字で、『法華経』等に観音菩薩が33種の姿に変じて衆生を救うと説かれることによる。俗に「三十三間堂の仏の数は三万三千三十三体」というのは、本尊と脇仏の一千一体がそれぞれ33に化身するからである。】だそうです。
昨秋、東寺でも感動的に本堂内の仏像を拝ませて頂きましたが、やはり、歴史の重みと人々の想いが伝わってきますし、作者の祈りまでも~。
さて、ぐるりと回って~この後、本堂に入ったのでした。
御朱印も頂きました。そして、本堂内で販売されていた公認のお土産。




塩小路を東へ、西へでしたが、鴨川の橋!
京都タワー