2018.2/02
三重大学病院外来棟5Fホールで、第17回分子予防環境医学研究会、村田教授が会長です。
川崎医科大学衛生学からは、武井先生の研究内容の発表で、西村先生が代理でプレゼン!
しかし、どの教室も精力的にお仕事されていますね!
3年ほど前にリニュアルされたようで、すごくきれいな建物です。
ドトールとローソンが入っているのね。
眺めも良し、です。
夜は懇親会
今度から赤池先生が会長になられます。
さて、ランチは、日本臨床環境医学会で一緒の今井先生~今年の7月に学術集会を三重で開催されます。
院内に、ポンタ君(三重大マスコット)も居て、で、三人で一緒に病院の中華レストラン四囍折々にて……。
さらには、V's Dには早いのに…頂戴しました。
さて、少し遅めで開会だったので、津市内を「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」 ~ 近鉄津駅から一つ南の津新町 → そこから津城址へ
丑寅櫓が…建っています。
お城公園なのですね。
春の桜の頃とかは、きれいんでしょうね。
伊勢街道です!
藤堂高虎像!
お濠も残っています!
日本庭園が造られていて…藩校の門が移転されていました。
お濠の向こうにも公園があるようですが…まずはこの辺りまで。
裏手には、藩主を祀った高山神社も!
【藤堂高虎を祀る。津市発展の礎を築かれた開祖として「高山居士」のおくり名に由来。津市の商工業の守護神、市民の氏神として、現在も広く信仰を集めています。】です。
お城と直結!
背後から再びお濠~お城の公園へ。
さっきの伊勢街道の看板で、津観音や四天王寺が書いてあったので、そっちへ向かおうかしら?
最後に、もう一度櫓を見てから
津観音に向かう途中は、アーケード街で、元々の門前町からの商店街だそうです。からくり時計がありました。
日本三大観音の一つとのことです。
【開山は西暦709年で、日本三観音の一つです。本尊は、聖観世音菩薩。歴代将軍家や津藩主藤堂家の祈願所であり、数多くの文化財を有する真言宗の古刹。現在は、庶民の信仰の中心として賑わいます。伊勢の天照皇太神宮のご本地仏である「国府阿弥陀」もあります。】だそうです。
五重塔がありました。
工事中でしたけれど…。
このタイミングでは、それほど多くの参拝客さんもいらっしゃらないですが…。・
ぐるりと境内を一周!
明日は【・2月3日:「鬼押え節分会」】ですね。
護摩堂!
さて、次へ…
四天王寺です。
【津市でもっとも古いお寺。聖徳太子建立と伝えられるが戦災で堂宇の大半を焼失した。薬師如来座像は国の重要文化財に指定されている。創建年代:飛鳥】だそうです。
なんだか、いい佇まいのお寺さんでした。
古式豊かな境内です。
願望成就のお線香を
境内を「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」させて頂きましょう。
なんと、信長の実母の墓とか
めあらいじぞう…です。
詳細は張り紙参照!(=^_^=)
広い境内ですし、墓所も広い様です。
曹洞宗なので、大槻家と同じなのです。
【本寺は塔世山四天王寺と称し、曹洞宗の中本山です。推古天皇の勅願であり、聖徳太子の建立と伝えられています。用明天皇の時、聖徳太子は守屋大連の軍に三度も敗れました。そこで太子は四天王尊像を刻み、「もし我が勝利を得れば、寺塔建立するから勝利を与えてほしい」との誓願をたてました。その結果、守屋の軍をやぶることができたため、誓願どおり建立した四つの四天王寺を建立しました。その一つが、本寺であるとされています。近年、境内から奈良時代の古瓦が出土され、建立されたのは7世紀頃という説もありますが、いずれにせよ1000年以上の歴史があり、平安時代ではこの地方で最も繁栄した寺院でした。】とのことです。
【その後、度々の兵乱や戦火で焼失と再興を繰り返しましたが、元和5年(1619年)に津城に入国した藤堂高虎が改築、二代目藩主高次が寛永14年(1637年)に寺領を寄進したことにより、寺勢をとりもどしました。現在の本堂は、太平洋戦争で焼失後、五十二世定行代に托鉢行にて再建されたものであり、市内有数の大きな寺院の一つとなっております。また境内には、信長生母、藤堂高虎夫人をはじめとした武将や学者、文人たちの墓や芭蕉文塚ほか、文学碑など貴重な文化財が多く残されています。】です。
本当に、ぐるりと回りました。
さて、ここから(って結局、津新町駅からずっと)徒歩で、三重大学まではそこそこありそうですが、まぁ、時間が許してくれそうなので、テクテク倶楽部にしましょう。
安濃川~そして、三重大病院横の志登茂川
懇親会後は、「ブラ@タケミ」で、ほろ酔いというほどでもなく…津駅前の宿舎まで。
なんかコンパクトでよい街です。
|