2017.12/23
社会医学系専門医協会の認定プログラム統括指導者連絡会議でした。
新大阪駅近くの貸会議室…大槻の嫌いなグループディスカッション!(=^_^=)
いや、やる時はきちんとしますよ!
地図で見て…ちょっと遠いかなぁって菅原天満宮へ向かう途中
阪急電車の京都線と千里線が淡路駅へ向けて…住宅街の中の造り酒屋の白壁
菅原天満宮に到着(思ったより遠くって……2.7kmもあったようです)結構、時間がかかりました。
【菅原道真公を祭神とし、寛永(かんえい)年間(1624~44年)、この地が開発されたときに勧請(かんじょう)されました。代々の言い伝えでは延喜(えんぎ)元年(901年)に菅原道真が大宰府へ左遷され淀川を船で下る途中、当地摂津の国、二重新家村(ふたえしんけむら)住民の出迎えを受けて上陸され、逆川(さかがわ:淀川の支流)の土堤から東を眺めて京の名残を惜しまれた由緒ある土地であるとされています。】だそうです。
こんもりと小高い
そんなに広い境内ではないですが、いろんな碑や境内社も…
いろんなところからの梅…なんせ【こちふかば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ】
稲荷なども
すぐ向こうはホームセンターですが…(=^_^=)
【そして菅原道真が上陸した淀川の岸を「牛まわし」と名付け菅公の遺跡として言い伝えられています。「菅公ゆかりの地、牛まわし」と刻んだ碑が、正面石段の左下にあります。】とのことです。
当初、2kmくらいかなって思っていたので、ちょっと遅れ気味になりましたが、会場のすぐ近くに中島惣社
こちらも、広い境内の立派な神社です。
【孝徳天皇の白雉2年(651年)難波長柄豊碕に遷都されたころ、五穀豊饒を祈るために多くの神領を得て創建されたといわれています。】だそうです。
【中島惣社は最初、稲荷神社と呼ばれていましたが、明治29年に中島惣社の現名に改めました。惣社というのは総社の意味で、中島郷48カ村の親宮(総社)ということからです。明治41年から42年にかけて近隣の多くの神社を合祀しました。】総社と同じ意味なのですね。
【崇禅寺から中島惣社の一帯は崇禅寺馬場と呼ばれ、明治時代には19000坪余りの境内を持つ立派な神社でした。昭和20年の空襲で焼失してしまいますが、幾度かの改築を経て、現在は美しい社殿に整備されています。なお、昭和の初めには社域から弥生式土器も多数発見されており、また境内には芭蕉の詠んだ句を刻んだ「落葉塚」と呼ばれる句碑が建てられています。】とのことで、崇禅寺さんは、とっても広い境内の立派な寺院の様でしたので…今度参拝させて頂きたく思っています。
参道はずっと向こうの方までありました。
さぁ、研修に向かいましょう! |