2017.9/03-05
前日の市民公開講座と理事会を含め9/04-05は北里大学獣医学部(十和田市)で第24回日本免疫毒性学会学術年会
+2泊は夜行バスで、9/03の朝8時頃に十和田市街地に入って、中央公園などを「ブラ@タケミ」の後に、キャリーバックを理事会会場の文化交流センター「トワーレ」さんに、預かって頂いて、さらに「ブラ@タケミ」
太素塚〜新渡戸記念館なのですが。
【三本木原に人工河川・稲生川を上水し、碁盤の目状の都市計画を行った新渡戸三代(傳・十次郎・七郎)をはじめとする開拓の先人と、開拓精神を受け継ぎ世界で活躍した新渡戸稲造博士(十次郎の三男)をまつる墓所です。慶応2年(1866年)傳は自筆の墓石「太素塚」を立て、明治4年(1871年)9月27日78歳で亡くなり埋葬されました。十次郎、稲造の分葬墓、開拓功労者の顕彰堂などが整備され、大正14年(1925年)稲造は地域文化向上のため、蔵書など8000点を寄贈して、ここに「新渡戸文庫」を開設しました。この貴重な資料は昭和56年(1981年)市指定文化財となっています。】です。
日本三大開拓地なのです!
確かに…荒れ地だったらしい…原野だったのでしょうね。山とかからは、遠い感じですが。
残念ながら、日曜は記念館はおやすみでした。
それでもこの雰囲気だけでも感じましょう!
木漏れ日が優しい。
ちゃんと合掌をしておきましょう!
古い建物も〜
花々も〜蝶も
記念館は…次、といっても、なかなか十和田までは来れないですが。
さて、太素塚を跡にして…日曜の朝の市街地を…どこを目指しましょうか?
ちょっとした空き地などに花々!



稲荷神社に訪れました。
大きな神社です。
まだ人も少ない境内をぐるりと…。
立派な神社の様ですし、摂社も沢山
こんもりとした木々は、遠くからでもわかります。
【旧三本木町総鎮守。稲生町に鎮座。かつては蒼前林と呼ばれた地であり、清水が湧いていた場所であり、境内には駒形神社や大池神社もあります。】とのことです。
確かに、開拓地ってことは、もっと昔は、あまり人も住んでなかったってことでしょうか?
拝殿、本殿の回りを巡らせて頂きました。
開拓の開始が1855年頃からなので…神社などの歴史もそういった感じでしょうか?
拝殿横の稲荷神社は、以前の社かしら?
社務所には、どなたかいらっしゃいまして、花々のお世話をされていました。



さて、稲荷神社から西へ!
コスモスがきれい。
その先に、大きな伽藍〜真宗大谷派の理念寺さんです。
ちょっと寄らせて頂きましょう。
法事か何かで、喪服の方々が集まれていました。
顔立ちのよい鐘楼ですね。
さて、お参りも終了
 



そこから中心部へ…花々など見ながら〜
灯油タンクはやはり北国
空き地かな? 花々
八甲公園がありました。
広くって、爽やか!
工務店さんか、どこかのおしゃれな建物など・・・・。
9/03はここまで



9/04 ホテルから徒歩の途中で、豊川稲荷
平坦な道を歩んでいきました。
本当に、ポツンと建っていたのですが、碁盤の目の道と、所々、斜めに区切る道の境の所でした。