2017.9/08
当初、17時からの社会医学系専門医協会の執行理事会だけの予定が、急遽SXLさんとの共同研究の打合せで、始発ののぞみで!
品川から京急で青物横丁:小さな幸稲荷神社がありました。
そこから、少し東の方へ…
ビルの横の芝生を通り抜けて
KDX東品川ビルです!
で、打合せの途中から〜今度は、西新宿に出向く用事が急遽生まれました。
SRL medisearchさんです。
ここまでバタバタで、この後、少しメールチェックなどをして…それでも2時間弱、時間があったので、久しぶりに新宿中央公園
緑が一杯!
それに陽射しも溢れてきて〜花壇には花が一杯
まだ、結構、夏感もあり、です。
しばし、花で楽しみましょう!
何回か来たことはありますが〜結構、久しぶりです。
さて、広場の方も…
今日は、ゆっくり見て回れますね。
都会のど真ん中ですが〜
ハイアットリージェンシーですね。
さて、そこから熊野神社に向かいます(いつものコース)。
【当神社は中野長者と呼ばれた室町時代の紀州出身の商人・鈴木九郎によって応永年間(1394年 - 1428年)に創建されたものと伝えられている。(天文・永禄年間に当地の開拓を行った渡辺興兵衛という人物が祀ったという異説もあり)鈴木九郎は代々熊野神社の神官を務めた鈴木氏の末裔で、現在の中野坂上から西新宿一帯の開拓や馬の売買などで財を成し、人々から「中野長者」と呼ばれていた。】とのことで…
【鈴木九郎は当初自身のふるさとである熊野三山の若一王子を祀ったところ、商売が成功し家運が上昇したので後に熊野三山から十二所権現をすべて祀るようになったのが始まりとされている。かつて存在した付近の地名「十二社」(じゅうにそう)はこれに因んでいる。この地名は現在でも通り(十二社通り)や温泉(新宿十二社温泉)の名などに見られる。】なんだそうです。
【神社境内には大きな滝があり、また隣接して十二社池と呼ばれていた大小ふたつの池があり、江戸時代には付近は江戸近郊の景勝地として知られていた。江戸時代には熊野十二所権現社と呼ばれていた。江戸時代あたりから付近には茶屋や料亭などが立ち並びやがて花街となっていった。最盛期には茶屋や料亭が約100軒も並んでいたという。この賑わいは戦前まで続いていた。】それほど、大きな滝ではないですけれどね、今あるのは。
今日は、参拝客も割りと少ないです。
【その後明治時代に入り名が熊野神社となり、その後神社の滝や十二社池は淀橋浄水場の造成や付近の開拓により姿を消し景勝地としての様相は徐々に見られなくなっていった。しかし、熊野神社はその後付近が日本有数の高層ビル街と変貌した現在でも新宿一帯の守り神として人々から信仰を得ている。】でも、公園もあるし〜。
ビル街から中央公園に、そして神社に来ると、それぞれ異次元の様で〜。
都会の中にあると、なんだか、ほっとします。
実は反対側(西側)からのスロープが参道!
さて、そこからまた、中央公園の〜初めて来ました、ビオトープ
稲穂もたわわに〜。
さて、戻っていきましょう! 最初にあったのは写真工業発祥の地!
東京には、こういう処も、よく見てみると結構ありますよね!
富士見台に六角堂
そこには、マンドリンの練習をする人や、本の朗読の練習をする人など、それぞれの時間!
さて、そろそろ会議の方へ! 〜都庁を越えて
聳え立っています!
小池知事は執務中かしら?
オリンピックの大きなエンブレム
さて、いよいよ・・公衆衛生ビルで今回の本来の目的の会議です。17〜21時くらいまで行いました。
その後、事務方のお二人も含めて、6名で…ふらっと入ったイタリアン・バール!
ここが、なかなか、美味しい!
ビール、スパークリングワイン、そしていくつかの白ワインで…結構、飲みました。
ボリュームもあったし〜
事務のNさんの、秘密のレストランだったそうで…ごめんね、見つけてしまいました。もう23時過ぎだ!!! |