2016.11/04
今日は,日帰り東京です。順天堂大学の衛生学(横山教授)・公衆衛生学(谷川教授)にご依頼を受けて,社会医学系専門医について,学部の午後の授業で3年生に,夕刻から医師や近隣の保健所の先生に・・講義をしました。
講義室すごい! 全座席にモニターはあるし,吹き抜けで,スクリーンの向こうは図書館かな,とかが見えています!
衛生学や公衆衛生学の教室のあるのは旧元町小学校の校舎です。
講義は新しいセンチュリータワーでした!

さて,上京に合わせて板橋にあるとある企業さんに,産学連携活動関係で訪問させていただきました。
都営三田線の「板橋区役所前」駅で降ります・・・この辺りってめったに来ない!
四ツ又交差点,そして旧川越街道! 四ツ又は,旧川越街道と池袋への高田道で,四つってことらしく。でも,今,旧街道は,広い道のど真ん中・・センターラインの代わり的ですが,そこにも四ツ丸馬頭観音もあったり・・・・。首都高の下に,こんな歴史って面白い!

少し足を延ばすと・・・子易神社!
古くから,安産や子育について信仰の高い神社だそうです。秋の光のコントラストが眩しい境内です。
今は,七五三詣の幟が沢山!
【創建年代不詳なれど、富士浅間神社の分霊を勧請し、江戸時代子安宮又は子安神明とも称し明治初年子易神社と改称、古来より安産、子育、保育として信仰を遠方より集め、家内安全、商売繁栄と共に御神徳を仰ぐ神社である。】です。
住宅街の一角ですが・・・
でも,小春日和っていうか・・青さの透き通る空の下で・・いい感じです。
胸突地蔵尊だそうです。
  

区役所・・・
  

先程,旧川越街道で四ツ又交差点でしたが,四ツ又公園も
雀が何かを啄んでいます。
なんなんだろう・・おむすび??
秋の色合いも染みてきて・・・花壇には,でも,花々も・・
ここでメールチェックをしておきました。

さて,板橋での用事も終了して・・・三田線で・・・水道橋へ!
ふと立ち寄ったのは,讃岐金比羅東京分社。
【文政2年、板橋 市左衛門の邸内祠として祀られたのにはじまり、明治13年、神社として認められ、明治21年に当宮境外末社に加えられました。明治23年には神田和泉町にあったものを、深川古石場町に移転、「深川のこんぴらさん」として親しまれていました。しかし、昭和20年、戦災にあい建造物を焼失。讃岐高松藩の邸内社として奉斎されていた水道橋金刀比羅神社と深川のこんぴらさんを合わせ祀り、昭和39年、文京区本郷に遷座。以来「水道橋のこんぴらさん」として親しまれています。 】です。
水道橋稲荷も・・(=^_^=)
反対側は後楽園ですけれど・・・
  

さてそこから・・元町公園にまずは向かいます(ちょっと時間があるので)一年半前くらいにも訪れました。
【大正12年に関東大震災が発生した後、東京市は帝都復興計画の中で、大公園3箇所、小公園52箇所の震災復興公園の設置を計画しました。小公園は、地域住民の利用のほか、隣接する小学校の校庭の延長となる教材園及び、運動補助場として、さらに、災害時の避難場所とする目的で計画されました。元町公園は小公園の1つとして、昭和5年、旧元町小学校に隣接する敷地に開園しました。日頃は体操や縄跳びなどができる小さな広場があり、スダジイ・ケヤキ・イチョウ・スズカケノキ・アオギリなどの大きな木が公園を囲っています。これは、災害時に避難民を火の手から守る防火樹林として植栽されたものです。】です。
【第二次世界大戦中、金属類の供出により、公園は、鳥小屋、門扉などを失いました。外柵は開園当初、鋳鉄製だったようですが、かわりにコンクリートが使われました。この公園の歴史的価値を見直し、昭和50年代、公園の復原的改修を行いました。外柵は鋳物での復原はできなかったものの、角パイプを加工し、デザインを復原しました。ほかにも、表面仕上げなど当時の図面を参考に改修を行いました。】だそうです。
前回は,ジメジメと蒸し暑い時でしたが・・秋はいい雰囲気ですね!
さぁ・・講義も頑張りましょう!