2016.9/04-07
第23回日本免疫毒性学会学術年会の「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」です。
当初予定では,9/05に台風12号がちょうど小倉の辺りを横切る予報だったので,5日午後の理事会への参加は総務担当理事としてはマストだったので,急遽,4日の最終ののぞみで移動しました。
しかし・・・夜のうちに対馬沖で熱帯低気圧に変わったみたいで,雨風は大丈夫でした。
  
でも,理事会資料の重めの荷物もあるので・・「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」は近場で・・・
京町商店街でしょうか・・・元々,参勤交代の街道だったようですが・・川柳がいっぱい!

そこから紫川のriver walk へ
小倉城も見えています。
2〜3回,この界隈は「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」していますが・・・。
と思ったら,大きな鳥居が・・八坂神社ってのがあって・・・そういえば,ここには参っていないかも・・・
天守閣を眺めながら・・・まずは,境内の外っていうのか・・
いろんな像なども建っています。
お城と一体化している感じで・・
稲荷神社もありますね。
すみません,どなたの胸像かしらないままですが・・・
再び,天守を眺めながら・・さt,山門を越えて,いざ境内にって感じで
内堀ですね。
社務所も昔の櫓跡??? ニャンコがいます。
何か・・工事中でもありました。
本殿横から・・摂社群を回らせていただきます。
堀の向こうは・・金光教の建物でした。
【古くは「こくらのぎおんさん」と呼ばれていた。阪東妻三郎(1943年版)や三船敏郎(1958年版)らが主演した映画『無法松の一生』に登場する小倉祇園太鼓はこの神社の例大祭である。祭は1618年(元和4年)にはじまり、約390年の歴史を有する。現在は、毎年7月の第3土曜日・日曜日に開催されている。なおこの神社は、北九州市およびその周辺地域において、もっとも多くの参拝客でにぎわう神社である。もともと「祇園社」と呼ばれていたが、1868年(慶応4年)の神仏分離令(廃仏毀釈運動)により、「八坂神社」に改められた。】です。
神楽殿などもありました。
さて摂社群の奥からお城に入城です。
内堀と外堀が・・・・連なる辺り
天守閣が見えてきました。
【(明治8年)陸軍の歩兵第14連隊と歩兵第14連隊を管轄する歩兵第12旅団本部が松の丸跡に置かれる。(明治31年)陸軍第12師団司令部庁舎が本丸跡に建てられる(1925年(大正14年)久留米に移転)。】です。
鉄門もありますね。
さて,天守閣の手前まで・・
【勝山城、勝野城、指月城、湧金城、鯉ノ城などの別名がある。】とのことで,勝山公園です。
【小倉城は13世紀中ごろ、紫川河口西岸にあった丘に築かれたといわれ、近世の江戸時代前後に毛利勝信が現在見られるような縄張で総石垣造の城郭を築き、細川忠興が南蛮造の天守などを建てた。本丸を中心に、南に松丸、北に北の丸、それらを囲い込むように二の丸、三の丸、外郭が配された梯郭式平城であった。建物は、野面積みの石垣の上に大天守と平の小天守1基、平櫓117、二重櫓16、櫓門12、狭間3271を配していた。城下は、城の東を流れる紫川を天然の堀として活用し城内に町を取り込んだ総構えを採っていた。】だそうです。
大手門から城外に出ました。
松本清張記念館や庭園もありますが,前にも訪れたので・・今回は通過です。。。(=^_^=)
八坂神社のところまで,戻ってきました。
宮本武蔵の碑もありますね・・
さて,城外に出て---紫川の下りましょう
こちらは長崎街道だそうです。
近くの方かしら・・・いろんな花々を・・・
いい感じです。
ずっと曇天は残念でしたし・・・むむむ,蒸し暑い・・早めに会議場へ向かいましょう!

さて,9月5日・・無事に理事会,新理事会も終了しました。翌日の総会に向けて,少し気持ちが安心しました。
空も晴れてきました。
小倉港と新日鐵住金製鐵所です。
夕暮広場ですね・・・
さて,会費制理事懇親会へ・・小倉駅を抜けると・・小倉祇園太鼓の像も・・