2016.7/31
大槻の私的な道行ですが・・郷里の丹波・京都府福知山市の菩提寺・金光山洞玄寺さんへ永代供養塔に入っているとはいえ,母と共に,8年前の7月27日に逝去した父の墓参,先祖代々の墓参りとご挨拶に
父が寄贈した牡丹園が,今年は関西地方のTV報道でも流れたそうで,大阪方面からも多くの方が観に来られたそうです。
いいお寺さんですよ!
ご住職はご多忙の様でしたが,本堂奥の位牌堂でも拝ませていただきました。
辞する時には,丁度,若住職が鐘楼で時の鐘を突かれていました。

暑い夏です。
元々・・石原城址もある小高い岡です。
空蝉・・・
ありがとうございました。合掌です。


お昼を食べて・・・福知山駅でお土産を買おうって思ったら,すごい夕立
しかし,東の方に抜ける途中の市街地では道路も濡れていないっていう・・・
 
福知山駅も綺麗になっています。

その後,旧三和町の・・大原神社へ「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」です。
【大原神社の創建については『社伝』によるものと『丹波誌』によるもの二説あります。社伝によると仁寿2年(852)3月23日に三和町大原の地に創建されたと伝えられ、丹波誌によると創建は元社である美山町樫原の大原神社のことであり、弘安2年(1279)9月28日に三和町大原に移されたとあります。】だそうです。
【神社に伝わる『大原神社本紀』によると、命を受けた春日神社の御祭神天児屋根命(あまのこやねのみこと)が新しい宮地(境内地)を探していたところ、大原山麓の水門(みなと)の淵から金色の鮭が浮かび出て、この地に鎮座を願ったとあります。大原の神様は黄色の牛に乗って大原に遷座され、その際についたとされる蹄跡が、水門(みなと)の淵の岩肌に凹みとして残っています。】
【応永4年(1397)に本殿、拝殿、舞楽殿が整いました(社伝)。創建が二説あるのは元亀・天正の頃(1570?1591)火災にかかり社殿、古記録ともことごとく焼失したためです。現在の社殿は寛政8年(1796)に建立されました。社殿は本殿と拝殿を相の間でつないだ連結式社殿で、立派で華麗な造りとなっています。昭和59年に京都府指定文化財に登録されました。】
本当に立派な神社です。
摂社を巡りましょう!
夏の山の緑が美しい
中学までしか居なかったので,こういった場所は(特にその頃は違う自治体だし)知らなかったですよね
他の末社も・・
ゆっくり見て歩けました。
行き渡る風があり・・・少し涼も呼んでいました。
御朱印も頂戴しました。
絵馬殿〜神楽殿も・・歴史を感じさせます。
里山の,山間の・・・大きな神社です。
安産祈願だそうですね・・それは産屋もあるし・・
それでも道路も立派に設えてあって,国道から少し入りますが,すっと来ることも出来ました。
さて・・「お釜さん」という清流の曲がり角
そして,産屋です。【大原の産屋は茅葺、切妻屋根、それをそのまま地面に伏せたような天地根元造という古い建築様式で造られ、神話の世界を思い起こすような佇まいです。出産の折、十二把のワラ(閏年は十三把)を持ち込み、出入口に魔除けとして古鎌を吊り、七日籠って出産していました。】
【この習俗は大正年間まで続き、また、産後三日三夜籠る習慣は昭和23年頃まで続いていました。現在は利用されなくなりましたが、 産後に身体を休めた安息の場所であるこの産屋を地元では大切に守っています。】
【また、安産の神、大原神社の信仰の源として多くの人々に愛されています。 全国に残る数少ない産育習俗を伝える文化財として昭和60年に京都府指定有形民俗文化財に指定されました。】
夏空が広がる・・・里山ですね。
丹波では稲穂も出ていて・・小さく白い「稲の花」
よい空間です。
ステキな夏の旅になりました。
これからも福知山の未経験の場所を発見していきたいですね。
 

なんと,母が両丹日日新聞を購読していることで,知りました。前の日がこの橋,渡り初めだったと!!!!