2016.6/06
13〜15時の予定で,社会医学系専門医制度の協議会が品川で開催(結局は17時までかかりましたが)
  

で,どうせ,上京するならってことで,AMに市ヶ谷で,自律神経系の測定を脈波で行う機器(ちょっと共同研究で使用予定)を見せてもらいに行く用事を作りました。
市ヶ谷ってことで・・・東郷元帥記念公園(市ヶ谷だとよくここに来ますが・・・)
曇り空ですが・・・
思いの外,緑の深い公園です。
千代田区のコミュニティーサイクルなどもありました。

そこからその会社さんのオフィスビルのある・・・五番町の方へ向かいます。
街角には紫陽花も沢山
  
JSTのビルがあります・・・昔,よく来ました。
  
三年坂を降りて・・・外濠公園の市ヶ谷〜四ツ谷間を「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」
ここも結構,木々が多いですよね!
中央線や総武線の電車の音は絶え間ない感じですが・・・
こちらは五番町だそうです・・・用事も終了
  

さて,そこから品川に移動!!
港区立・・杜の公園「品川セントラルガーデン」です。
ランチタイムで,周りのサラリーマンさんやOLさんたちがノンビリされていました。
  
いい空間ですよね

まだ時間があるので・・・NHKブラタモリで観た・・・品川浦とつり船・・・の辺り
鋪道のところが緑地帯になっていて,いろんな花が植えてあります。
都会的な空間から一転,こっちは,庶民的な雰囲気が漂っています。
そこには利田神社と鯨塚がありました。
【嘉永3年(1626江戸時代前期)に沢庵和尚が弁財天(洲崎弁天)を祀ったのが起こり。・利田はこの辺りを開発したし利田新田を開いた利兵衛の姓。・江戸名所図会、広重の名所江戸百景にも描かれている。】
【境内の鯨塚は、1798年(江戸時代後期)に品川沖に迷い込んだ一頭の大鯨とその事件のてんまつを伝えるもの。・「11代将軍家斉」も上覧したといわれる「寛政の鯨」の骨を埋めた上に、建てられた塚である。】だそうです・・・・・。
海辺だったんですものね!
東京都内に残っている鯨塚はここだけだそうです(全国には沢山あるらしい)
この季節も花々が沢山!
街中ですが,散策って感じ
この辺りは,元々・・・漁村だったそうな・・・
道々に・・・花々
そうこうしているうちに,目黒川の河口・・っていうか,天王運河に流入・・・近辺まで・・北浜公園です。
ここにも花壇にいろな花々が・・・
穏やかな空間です。
自治会というか町内会というか,そういった人たちがお世話されているのかしら?
楽しめました。
 

目黒川のところに・・・品川橋!【・北品川宿と南品川宿を分ける目黒川にかかる東海道の橋。昔は北の天王祭(品川神社)・南の天王祭(荏原神社)の祭礼が同じ日に行なわれており、両社の神輿が北と南の境の橋で行きあった事から、行合橋(いきあいばし)とも言われたという。また、境橋・中の橋とも言われたという。・現在は、全国でも珍しい、橋の上に庭園や東屋も建っている橋に架け替えられている。】
そうか,ここは東海道!
そこには荏原神社がありました。
荏原神社@南品川〜南の天王さんだそうです。目黒川が天王州南運がに注ぎ込む辺りの南品川周辺,荏原神社がありました。
【南品川の鎮守。創立は和銅2年(709)往古より貴船社・天王社・貴布禰大明神・品川大明神と称していたが明治8年荏原神社と改称。『江戸名所図会』で南品川宿の最初に出てくる挿絵は貴船明神社(きふねみょうじんしゃ)(貴布祢社(きふねしゃ))で、現在の荏原神社である。目黒川にかかる鎮守橋の欄干越しに見る神社は緑の木立の中にあって美しい。】だそうです。
立派な神社です。
都会の神社は(まぁ人の数が多いってことでしょうけれど)いつ,どこへ行ってもお参りしていらっしゃる方を見かけます!
朱塗りの橋まで含めて神社ってことでしょうか?
  

さて,そろそろ会議の場所の方へ・・・
北品川商店街は・・・旧東海道の品川宿ですね
【品川宿は東海道五十三次・第一番目の宿場。江戸時代後期には約1600軒、7000人が住んでいたという。現在、旧東海道は商店街となり、買い物の人たちでにぎわう。・北品川本通り商店会=品川宿に入って最初の商店街、昔は東海道品川宿の徒歩新宿と言われた地域。・北品川商店街=履物の「丸屋」呉服の「相模屋」「尾張屋」など江戸時代からの老舗が残る旧東海道を買い物客に混ざって、観光客、史跡散歩の人などが行き交っている。】でした。。。。確かに!!
問答河岸だって!
今度,もっと先まで行ってみよう!
八ツ山橋近辺の京急とJRと踏切と橋梁が交錯する辺りから,高輪口前を超えて,会場でした。。。13-15時の予定だった会議が,結局,17時までになりました。