2016.5/25-27
第89回日本産業衛生学会@福島県文化センター&福島市音楽堂
西村先生と大槻が参加しました。
西村先生も大槻も産学連携知的財産管理室の業務が入ったり,大槻は共同研究の打合せが入ったりで・・・25&26日の参加,また西村先生の一般演題発表の様子も撮れなかったのですが・・
大槻は,特別講演のIARCから来られた Dr. Johachim Schuzの座長を,今回の会長の福島先生から相当前から依頼を受けており,大役を務めました。
午後からの講演でランチもご一緒しました。でも,福島県立医大からIARCに出向されているDr. Inamasuも一緒だったので,気が楽でしたけど。
25日,大槻はこの後,日本産業衛生学会アレルギー免疫毒性研究会の世話人会(代表は,旭川の吉田先生),ICOHアクティブメンバーの会で,それぞれ報告もあり,最後夜は,日本産業衛生学会アレルギー免疫毒性研究会の自由集会でした。
今回の講師は,弘前大学獣医学部の中村和市先生〜日本免疫毒性学会でもう長いお付き合いなのですが,中村先生の講演って聞いたことなかったので,興味津々,よい会でした。
自由集会が20時30分くらいまで・・でも,その後,ビストロ波平(マスターのヘッドのスタイリングがサザエさんの波平さんみたいな・・)でワイワイと!
楽しいお酒です。
かなり,遅くなりましたが・・
そう,まだチェックインしていないので・・迷わないようにホテルに向かわなきゃ!
 

会場の福島県文化セターは,結構,旧い時期に建てられたもののようです。十分に機能する会場ではあるのですが・・でも,前庭には彫刻なども沢山ありました。
26日朝まで大槻は会場に行きましたが,二日目は蒸し暑く,でも,少し青空も
【2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の発生により、人的被害はなかったものの、大ホール天井の4割程が落下、舞台機構が壊れた他、窓ガラス、スプリンクラー設備、空気調和設備や3階展示室の天井も壊れるなどの甚大な被害を受け、休館を余儀なくされた】だったそうです。
もうひとつの会場は福島市音楽堂,隣に古関裕而記念館もありました。
西村先生が,シャトルバスの待ち時間に覗いた様です。
大槻も入ってみたかった・・・

大槻は,25日の9時30分過ぎに福島駅到着・・そこから会場まで2kmくらいでしょうか・徒歩,途中で新浜公園がありました。
のどかな公園ですね。
薄曇りですけど・・・・
のんびりした雰囲気に和みます。
さぁて・・あんまにゆっくりは出来ないですが・・結構,遠い!

会場の福島県文化センターの前の鋪道は・・せせらぎが設けられていて,いろんな花々が綺麗に咲いていました。
ステキな雰囲気です。
ずっと住宅街なんですが・・・
【同年8月には、小ホールと2階会議室兼展示室等、一部施設が利用を再開したが、2012年1月から再び全館休館して復旧工事が行われた。支柱の追加や外壁を交換するなど耐震工事も行われた。復旧工事費用は約7億5000万円、他に、福島第一原子力発電所事故に伴う敷地等の除染に約9000万円を要した。】とのことです。
今は穏やかな通りの様子ですが・・・。
他の道にも市民の手で道路に花々をって様子が展開されていました。

特別講演の座長を終えてから・・近くの信夫山公園へ
時間があれば,頂上まで登りたいけど・・
【福島市街を一望でき春には大勢の花見客で賑わう福島市のシンボル的存在である。うつくしま百名山に選定されている。公園内では飲食が可能なため福島市内では人気の名所。古代には岑越(みねこし)山と呼ばれた。】だそうです。
【県名にも起用された「福島」の名の由来になったりアニメ映画となりのトトロ主題歌のモデルになったりなどと影響力がある山である。】知らなかった!
【登山のルート次第では険しい経路もあるなど登山趣味の入口として親しまれ、近隣小学校の遠足で用いられる山である。】---その時間はありません。
  
【山岳信仰として神社仏閣スポットでもある。岩谷観音、黒沼神社、福島県護国神社や出羽三山の分社(羽黒山神社、月山神社、湯殿山神社)がある。また大円寺や市が管理する墓地が存在、福島市を代表する墓所地帯としての性格も兼ねている。】だそうです。
黒沼神社から護国神社
隣り合っていますが・・
黒沼神社は【今から約1300年前にに鎮座。 御祭神 沼中倉太珠敷命= 第30代天皇 敏達天皇 倭建命。 社格 旧郷社 古事記 本文献にも記載されている延喜式神名帳に名前の残る、『陸奥國 信夫郡 黒沼神社』の論社の一社】です。
公園も櫻の頃は賑わいそうです。
 
信夫山天満宮の小さな社も

26日,朝,ホテルから会場へ・途中の稲荷神社です。
【福島旧城下町の総鎮守であり、旧福島町を氏子範囲とする。福島中心市街地に立地し、大祭や初詣で多くの市民が訪れる。987年(永延元年)、安倍晴明が奥州に下向した際、信太明神を勧請したことに始まる(現在の神社の由緒書きでは伊勢の外宮の豊受比売大神を勧請したとする)。1171年(承安元年)晴明の孫の安倍晴明が社殿を改築した。】だそうです。
立派な神社でした。
案内板は新しそう
歌碑なども・・・
境内社も沢山で・・
それぞれに説明板もあります。
蒸し暑いけど・・・この空間で和めます。
力石がちゃんと祠の中にありました。
「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」もこんなくらいかな・・