2016.3/02
川崎市に出張でした。今回はJR・・・そして,菩提寺の福知山市石原の洞玄寺さんの若住職さんが,この間まで永平寺とともに曹洞宗の総本山である鶴見の總持寺で修行を積まれたとのこと,そういえば,川崎市の近くですねってことで,初めて参拝してみました。
川崎市から京浜東北線でひと駅です。
参道を横切る感じで,鶴見大学,それに中学・高校部は,奥の方にあり学生さんたちや,丁度,下校の中高生もたくさん!
【学校法人総持学園:総持学園(そうじがくえん)は神奈川県横浜市鶴見区に本部のある学校法人。曹洞宗大本山總持寺山内にある。学校「鶴見大学・鶴見大学短期大学部・鶴見大学附属中学校・高等学校・鶴見大学短期大学部附属三松幼稚園】だそうです。
広い境内ですね!
【總持寺(そうじじ)は、神奈川県横浜市鶴見区鶴見二丁目にある曹洞宗大本山の寺院である。山号は諸嶽山(しょがくさん)。本尊は釈迦如来。寺紋は五七桐紋。境内にある鶴見大学を運営している。】です。
歴史は【能登国櫛比庄(現在の石川県輪島市)の真言律宗の教院「諸嶽観音堂」が、「總持寺」の前身である。能登の「総持寺」は、1911年(明治44年)寺基移転にともない「總持寺祖院」と改称されている。1321年(元亨元年)曹洞宗4世の瑩山紹瑾は、「諸嶽観音堂」への入院を住職の定賢から請われる。また同年に定賢より「諸嶽観音堂」を寄進され、寺号を「總持寺」、山号は「諸嶽観音堂」にちなみ「諸嶽山」と改名し禅院とする。】
そして【1322年(元亨2年)後醍醐天皇より「曹洞賜紫出世第一の道場」の綸旨を受けて官寺、大本山となり、曹洞宗を公称する。住職を5つの塔頭(普蔵院、妙高庵、洞川庵、伝法庵、如意庵)からの輪番制となる。1615年(元和元年)徳川幕府より法度が出され、永平寺と並んで大本山となる。栴崖奕堂以降独住制となる。1898年(明治31年)火災で焼失する。1911年(明治44年)現在地に移転。現在、旧地に總持寺祖院(石川県輪島市門前町)がある。永平寺派の「有道会」と並ぶ、「總和会」(總持寺派)の中心寺。】
永平寺は2008年に訪れました
春近し・・・という感じです。
【敷地面積は約50万m²あり、横浜市鶴見区の広域避難場所の1つに指定されている。境内には仏殿、大祖堂をはじめ多くの堂宇があり、鶴見大学などの学校施設もある。本尊釈迦如来像を安置する仏殿よりも、道元、瑩山紹瑾など歴代の祖師を祀る大祖堂の方が規模が大きいのが特色である。】だそうです。
まずは,仏殿です。
もちろん,この仏殿も相当に立派な堂ですけれど~
震災被害者への仏舎利塔の様です。
放光堂【明治44年(1911)11月5日、總持寺が能登から移転されて、最初に法要が厳修された記念すべき建物です。】です。
そして,【鐘鼓楼は放光堂から衆寮に通じる回廊の中にあります。禅門の行・住・坐・臥、日常生活の合図は、すべて言葉ではなく梵鐘、木版、雲版、太鼓などの打楽器群の合奏によって、全山に休まず有時を刻み、報知されます。】
そうなんですね,明治44年に能登から移転・・・【總持寺は、1911年(明治44年)に石川県から神奈川県に移転してきた寺院であるため、堂宇の大部分は近代の建立であるが、他所から總持寺へ移築された建物のうちには、近世末期のものも若干ある。大祖堂、三門などは太平洋戦争後に建立された鉄筋コンクリート造であるが、仏殿をはじめとする主要建物の多くは20世紀前半(大正時代~昭和時代前期)の本格的な木造建築である。2005年(平成17年)に仏殿など16件の建造物が登録有形文化財に登録されている。】
春近い夕暮れで・・・それでも,お参りの人も少しいらっしゃいました。
【大祖堂 - 1965年(昭和40年)竣工。仏殿の向かって右に位置する。高さ36メートル、内部は千畳敷きの大建築。本山開祖・太祖瑩山禅師と高祖道元禅師、二祖・峨山禅師をはじめとして、歴代の諸禅師の頂相を安置し、あわせて諸尊牌をも奉祀する霊場。大祖堂地下は客殿となっており、瑞応殿と呼ばれている。】
仏殿と並んでいますが・・・。
辛夷でしょうか・・
来る春を告げているようです。
結構,回りましたね
さて,また三門の方へ・・戻りましょうか・・・
20代前半っぽい修行僧の方々もたくさんいらっしゃいました。
そろそろ仕舞いかけていた売店の女性たちと,年若い修行僧さんが・・・後何年ここで修行したら・・・とか話されている様子が・・・微笑ましい!
季節を代えて訪れるのもいいかも,ですね。
境内の道は,一般道的にもなっているみたいで,散歩や通勤の方も足早に歩かれていました。
いろいろな観音像などもあります。水子供養も・・・
【【桜木観音】昭和26年4月、横浜・桜木町で起きた電車事故で亡くなられた103人を供養する観音さまです。】だそうです。
平成救世観音とのことですが。
その他,多くの碑なども・・
【總持寺の守護神は荒神様(三寶大荒神)です。總持寺三世太源宗真禅師(普蔵院開基)の成徳道風を敬慕した難陀竜王が禅師の血脈(禅師の法戒)を授けられた。そのお礼に荒神を奉納したと伝えられます。禅師は、これを受けて当本山の鎮護の神として、永久に仏・法・僧の三宝を守護する三寶大荒神として祀られたことに由来します。】です。
【三門の東を登った小高い丘陵を雙眸丘(ふたみがおか)といいます。大梵鐘は、その丘にあります。大正2年(1913)に、1万6千人ほどの願いや祈りを淨財にして鋳造され、関東一の大きさを誇ります。鐘銘は独住4世・石川素童禅師、勧進元は後に9世の伊藤道海禅師です。平成7年(1995)秋に横浜市指定文化財になりました。この鐘は重さが18.75トンもあり、毎日休むことなく時を刻げています。大晦日には一般参詣者も、大梵鐘を撞くことができます。】です。
いやぁ・・・いろいろと。
【穴熊稲荷大明神が祀られています。稲荷信仰は、仏教と習合して、人々の心のよりどころであり、また狐に跨がり剣と宝珠を持つ姿で五穀豊穣をもたらし、福の神として、ひろく信仰されています。】
さて・・・ほぼ回ったかなって感じですが・・・。
大駐車場の向こうにも像が・・で,行ってみました。
こちらには鶴見事故の慰霊碑が・・【鶴見事故は、1963年(昭和38年)11月9日21時40分頃に日本国有鉄道(国鉄)東海道本線鶴見駅 - 新子安駅間の滝坂不動踏切(神奈川県横浜市鶴見区)付近で発生した列車脱線多重衝突事故である。福岡県大牟田市の三井三池炭鉱で発生した、死者458人を出した大爆発事故が同日であったため、「血塗られた土曜日」「魔の土曜日」と呼ばれた。】とのことです。
春ですね。
さて・・・そろそろ鶴見駅に戻りましょうかしら・・
いい風情です。宵闇が少し迫ってきました・・・
ありがとうございました。