2016.1/29
昨日,今日から自治医大で開催される分子予防環境医学研究会の幹事会で小山市入り・・でも,今日のAMは東京三田で日本繊維状物質研究セミナーで講演・・東京へ移動する前に,小山市を「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」
まずは,城山公園ですが・・・祇園城っていうのですね。
今週初め,関東も降雪積雪で・・・その名残もありました。
人気もあまりなく,かつ冬の公園で・・少し寂しげな印象ですが・・・
【思川(おもいがわ)は、栃木県鹿沼市の足尾山地地蔵岳(標高1,274m)の東麓を源流とし、栃木県中西部を西から南へと流れ同県南端部にある渡良瀬遊水地に流入する利根川水系渡良瀬川支流の一級河川である。】が見えています。
【小山城は栃木県小山市城山町(下野国都賀郡小山)にあった日本の城。別名は祇園城。地元では主に祇園城と呼ばれている。城跡は、祇園城跡の名称で中久喜城跡、鷲城跡とともに小山氏城跡として、国の史跡に指定されている。】だそうです。
本丸橋で・・・本丸跡へ向かいますが・・・公孫樹の大木が残っているだけでした。
【小山城は、1148年(久安4年)に小山政光によって築かれたとの伝承がある。小山氏は武蔵国に本領を有し藤原秀郷の後裔と称した太田氏の出自で、政光がはじめて下野国小山に移住して小山氏を名乗った。小山城は中久喜城、鷲城とならび、鎌倉時代に下野国守護を務めた小山氏の主要な居城であった。当初は鷲城の支城であったが、南北朝時代に小山泰朝が居城として以来、小山氏代々の本城となった。1380年(康暦2年)から1383年(永徳2年)にかけて起こった小山義政の乱では、小山方の拠点として文献資料に記された鷲城、岩壺城、新々城、祇園城、宿城のうち「祇園城」が小山城と考えられている。小山氏は義政の乱で鎌倉府により追討され断絶したが、同族の結城家から養子を迎えて再興した。その後は、代々小山氏の居城であったが、天正4年(1576年)に小山秀綱が北条氏に降伏して開城し、北条氏の手によって改修され、北関東攻略の拠点となっている。小田原征伐ののち、1602年(慶長12年)頃、本多正純が相模国玉縄より入封したが、正純は1619年(元和5年)に宇都宮へ移封となり、小山城は廃城となった。】とのことですが,東日本の歴史には,疎いですね,大槻は基本,西日本在住ですし。
季節がよければ,緑などで憩いの広場でしょうか?
戻ってみましょう
多分,ノラちゃんかなぁ・・・でも,そんなに痩せてはいません。
思川の橋を見ながら・・・もう少し時間があるので・・・市役所の方へ移動しましょう!
小山御殿っていうのがあるそうですが,工事中でした,日光街道の宿場町ですね。
そうか,競泳の荻野選手の出身地なんだ,他にもスポーツ選手が優秀な成績を挙げられているようです。。
|