2016.1/28
今日の予定は,13時過ぎから「バイオ関連産業マッチング面談会」@日本橋with西村准教授と,小山市へ移動で,分子予防環境医学研究会幹事会・・・ちょっと早めに上京して,「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」はまず深川不動〜東西線で下車すると28日は縁日の日,そして,深川不動の手前に永大寺
縁日で,参道にも多くの屋台
【1624年(寛永元年)、長盛の開山により永代島に創建された。江戸時代には富岡八幡宮の別当寺として栄えたが、明治初年の神仏分離により廃寺となった。跡地は現在の深川公園や深川不動堂などになっており、深川一帯でも指折りの広大な寺院であった。その後、1896年(明治29年)に旧永代寺の塔頭の 吉祥院が名称を引き継ぎ、再興されたのが現在の永代寺である。】
さて・・・不動の方へ・・・・・すごい人
深川不動も・・・数年以上前に訪れたことはありましたが〜
真言宗智山派成田山新勝寺の東京別院です。
いやはや・・・人だかりで・・・中の参拝は断念しました。
【江戸時代のはじめ、歌舞伎役者の市川團十郎が不動明王が登場する芝居を打ったことなどにより、成田山の不動明王を拝観したいという気運が江戸っ子たちのあいだで高まった。これを受けて、元禄16年(1703年)、1回目の成田不動の「出開帳」(現代風にいえば「秘仏特別公開」)が富岡八幡宮の別当・永代寺で開かれた。これが深川不動堂の始まりである。江戸における成田不動の出開帳は安政3年(1856年)まで、江戸時代を通じて12回行われたが、そのうち1回を除いて深川永代寺が会場となった。永代寺は明治維新後、神仏分離令により廃寺となり、旧境内は深川公園となった。しかし不動尊信仰は止むことがなく、明治11年(1878年)に現在の場所に成田不動の分霊を祀り、「深川不動堂」として存続することが東京府により認められた。境内地は、深川公園の一部を永久かつ無償で借用することが認められたものである。明治14年(1881年)に本堂が完成。その後本堂は関東大震災・東京大空襲と二度にわたって焼失したが、本尊は焼失を免れた。永代寺は門前にあった塔頭・吉祥院が明治29年(1896年)に再興され、名跡を継いだ[2]。なお、地名「門前仲町」は「永代寺の門前町」という意味である。】だそうです。
ちょっと人に圧倒されました。
それでも,出世稲荷にもお参り!(*´∀`*)
  
白梅紅梅が綺麗です。
もう少し時間があるので,深川公園から富岡八幡宮へ