2016.1/14
例年,高知大学医学部環境医学の菅沼教授に招聘していただいております,4年生中毒学で「珪酸・アスベストの免疫影響」の授業を非常勤講師で務めさせていただいています。
なかなか日程が合わずに,今回は5時限目(16:30-18:0)~学生さん,お疲れのところ,ありがとう!
青空の下の高知大学医学部+附属病院です。
今日は,でも,電カルのシステムが変調で・・・院内アナウンスがかかっていました,それは大変!
いつもながら,アンパンマンに迎えてもらいます〜スタバが入っていたところが,いつの間にかTully's Coffeeになっていました!
授業終了後は,もう宵闇〜さて,高知道で戻りましょう〜四国山地の高いところ〜愛媛県との県境辺りは,雪が舞っていました!!
さて,今日は夜,帰路なので,到着してすぐ,南国ICから降りたところの道の駅「風良里」さんに立ち寄って,お土産購入!
土佐犬クッキーはかわいい!
高知といえば,高知家キャンペーンですね!
昨年度の授業でもこの辺りを「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」しましたが,南国市国分〜比江の辺りには,歴史的な寺社仏閣なども多い「土佐のみち」です。今日は,土佐国分寺で「ブラ@タケミ」
仁王門です。
29番札所なんですね!
鐘楼です。
正面は金堂【長宗我部元親が、永禄元年に再建した風格のある柿(こけら)茸きと天平文化に模した寄棟造りが特徴で、内部の海老虹梁は土佐最古といわれ、吹寄垂木などに室町時代の特色がうかがわれます。明治三十七年に国の特別保護建造物に指定されました】です。
お線香も供えました。
隣に大師堂
大師堂は寛永十一年(一六三四)に建立だそうです。
立派な国分寺ですね
その横には・・酒断地蔵尊!あれまぁ・・土佐はよく呑むから??
そして,境内を眺めやりながら,開山堂(行基堂)
駆け足の春です。
開山堂(行基堂)は【開山堂といわれる開祖のための行基堂は、はじめ本堂の東南に西面して三間半四面のものがつくられていました。創建年代は不詳ですが嘉永2年(西暦 1849年)に改築しました。のちの大正12年に、西側の総社側に東面して移築しました。】だそうです。
さて・・庭園〜光明殿〜客殿の方へ・・
句碑などもあるそうです。
椿が落ちていますね。
母や,亡き父は句誌「ホトトギス」の同人でしたが,現在名誉主催の稲畑汀子先生(高浜虚子のお孫さんにあたります)の句碑もありました。【晴れていく 早さに 梅の 匂い立つ】・・・もう少し後に訪れていれば,まさに,この句の季節だったでしょうね。
庭園は【創建当時の塔心礎を主石とした、杉苔の美しい庭園。中門を入った所に俳人高浜虚子先生の五女高木晴子さんの句碑「来し方を行く方を草朧かな」昭和五十九年十一月に、長男年尾さんの句碑「お遍路の静かに去っていく桜」が平成七年二月に建立されました。歌碑はフランス文学者朝吹登美子さんご母堂磯子さんのもので、昭和四十六年に建立されました。】と説明されていますが,汀子先生の句碑は新しいようで,説明には入っていないですね。
本当に立派なお寺さんで・・・しばし,授業をしに来たことを忘れそうです。
でも,ぐるりとしましたので・・歩を進めましょう
再び,境内の方へ戻りましょう!
金堂を見遣って
お隣に「総社」です。
【総社とは、特定地域内の神社の祭神を集めて祀った神社のことである。 南国市の総社は創建の年代は不詳であるが、現在の総社は、後寛文九年、山内豊昌により現在地に移築された。
土佐の国二十一社(安芸三社、香美四社、長岡五社、吾川一社、幡多三社)が集められたもの。】
周囲には田園風景が・・・
再び国分寺の境内から仁王門を通って・・・もう少し時間がありますね
案内板に地蔵渡しって書いてあったので・・・そちらに向かってみましょう!
この先の様ですね。
【国分橋が明治30年(1897年)に架けられるまでは、国分と南方との交通は、地蔵渡しを徒渉する一本であった。渡しの南はへんろ道と一体をなし、北は国分寺、領石と結んでいた。ここ南側の堤防上には文化7年(1810年)の刻のある花崗岩の地蔵菩薩像があり、この渡し名の由来や古さがわかる。地蔵渡しは、国分へのへんろ道の一つであり、おへんろさんの道しるべ的存在でもあった】とのことです。
国分川は【高知県香美市の西部に源を発し南西に流れ、高知市街地で浦戸湾に注ぐ。】です。
いい風景!
水鳥たちも少し寒そう
少し遠くに鳥たちがいたので・・・何枚も撮影しちゃいました。
青空が川面に映って・・・いい情景になっています。
さて・・・川もこんなところかな・・・
そして,近くに檸檬の木に,実が成っています
遍路も世界遺産を目指しているのですね! |