2015.12/20-21
21日の東大の講義の前泊は・・・千駄木・・
交差点のところに,藍染川と枇杷橋(合染橋)跡・・とのこと・・

これはなんだと思って地図をみると・・くねくねの道・・文京区と台東区の境ですが。
【水源は染井の内長池(現在の都営染井霊園の北側の低地)で、ここから西ヶ原へ、さらに、駒込村から根津谷に入る。不忍池から上野の山の三橋下(公園入口のところ)で忍川となり、三味線堀から隅田川に注ぐ】川の暗渠です。千駄木近くの交差点は枇杷橋(合染橋)跡です,確かに,くねくね・・まっすぐになったところで,曲がると,根津神社入口交差点は不忍通りです。

そこから・・・根津神社へ
もう幾度もお参りしていますが・・広い境内で・・落ち着いた場所です。
初冬の境内・・・名残の秋も残っています。
何人か通勤の方々が横切って行かれていました。
立派な山門です。
そして拝殿の方へ・・・
そのうち何人かは,ちゃんとお参りして仕事に向かわれているようでした。
【1900年ほど前に日本武尊が千駄木に創祀したとされる。文明年間(1469年-1486年)には太田道灌により社殿が造られた。万治年間(1658年-1661年)に同所が太田氏の屋敷地となったため東方に移り、のちさらに団子坂上(現文京区立本郷図書館周辺、元根津)に遷座した[3]。宝永2年(1705年)江戸幕府第5代将軍徳川綱吉が兄綱重の子・綱豊(甲府藩主。のちの第6代将軍・家宣)を養嗣子に定めた。綱豊が江戸城に移ると、当社が家宣の産土神とされていたことから、綱豊の屋敷地(旧甲府藩邸、現在地)を当社に献納して普請を開始した[3]。社殿は宝永3年(1706年)に完成し、同年遷座した。】だそうです,
それでもそんなに冷たくない朝ですが・・・
裏手(日本医大側)から・・・摂末社の方へ・・
銀杏も痩せてきています。
摂末社で,乙女稲荷神社や駒込稲荷神社があります。乙女稲荷とは,なんともときめく社名ですね!
こちらは駒込稲荷です・・・・。
そして・・・塞の大神碑や庚申塚なども・・
いろんな歴史です。
そして赤い鳥居が・・・続く!
銀杏の落ち葉は境内の池の水面を埋め尽くしています。
これもまた情緒でしょうか?
乙女稲荷です・・・御祭神は倉稲魂命で、社殿の奥の風穴を命を育む女性の象徴として五穀豊穣を祈ったことから「乙女」という名がついたと言われています。とのことです。
千本鳥居!
なかなか・・・風情に富んでいますね。
いろんな塚もあります。
のんびりと,塚や碑も見ながら・・・
青空ですし・・
さて・・山門の方に戻ってきました。
池の鯉は,寒そうなのかしら?
さて・・・東大の方には・・坂を登っていきます。
根津神社をあとにして・・・東大の方へ・・
  

農学部の塀を挟んで向かいに2つの寺院
願行寺さん,西教寺さんがありました。願行寺さんには,出世不動もあります。
この界隈・・本郷通りの向かい側は漱石や鴎外なども住んでいたところで・・今度は(来年度も講義を頼まれていますので)・・その辺りを「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」したいですね。
でも・・講義前になんだか,神社や寺院にお参りできて,気持ちが和みました。
  
さて・・講義だ!