2015.11/03
長崎で「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」
日本最古のアーチ型石橋~中島川の石橋群です。
まずは,一つ下流側の袋橋で,そこから上流の眼鏡橋がよく見えます
そして両河畔にも降りれるようになってて下をくぐりました。
【1634年(寛永11年)に興福寺二代目住持の唐僧黙子如定により架設された、中島川で最も古い石造アーチ橋。1960年(昭和35年)に国の重要文化財に指定されている[39]。西道仙が眼鏡橋と正式に命名しているが、それ以前からめがね橋と呼ばれていた[40]。度重なる洪水でも流失を免れたというのが通説とされる[40]。長崎大水害でアーチ部分を残して崩落したが、その後元の姿へ復元された。復元工事の際に行われた解体調査で左岸側橋端に階段の跡が発見されたため、被災前までスロープであった橋端は旧態を復元すべく階段へと変更された。水害被災前から高欄[注釈 1]には擬宝珠付きの柱が用いられている。】だそうです。
周辺には火除け地蔵などもありますし,昭和57年の水害の追悼のモニュメントもあります。
観光客も多い! 
そして修学旅行生もとっても沢山!
さて,そこから上流の方へ・・・
東新橋ですね・・その先の平坦なのが,芊原橋(すすきはら)
そして一覧橋:背景の光永寺さんも福沢諭吉が停留したりした由緒あるお寺さんです。
この辺りも,なんだか歴史を感じさせる橋になっていますが・・【1657年(明暦3年)5月に唐通事高一覧が寄付を募って架設した。橋の名前は西道仙がつけたものと考えられる。洪水で何度か流失し、1801年(享和元年)に架け替えられたと思われる橋が昭和期まで残り、市の有形文化財に指定されていたが、長崎大水害で流失。現在の石造アーチ橋橋は再架設されたもの。再架設された橋は中国風を徹底しており、石材は中国福州市の花崗岩を使用、橋銘石の揮毫は福州市美術家協会の書家が行っている。現在の橋は擬宝珠付きの柱を持つ高欄[注釈 1]になっているが、水害被災前は角柱を用いていた】だそうです。
古町橋・・・これも長崎大水害で流出したそうです!
その奥は網笠橋~ですが,古町橋たもとの神社にもお参り
ここです。
そして,あまりアーチでないのは大井出橋・・合流点の次の橋で,何回か洪水で流出とのこと・・そりゃあ,水量が一気に増えるからでしょうね・・
お不動さんがありました。
そして,諏訪神社側の川の上流の桃渓橋(ももたにばし)---川は堂門川だそうです。卜意地蔵がありました。
【合流点よりも上にあり、1795年(寛政7年)に破損した記録があるものの、流失の記録はない。長崎大水害でアーチ部分を残して上部が流されたが、なるべく原石を回収する形で復元された。ただし橋銘石は発見できなかったため、被災前とほぼ同じ形で新造されている。】だそうです。
さて,教育協議会の時間も気になり始めたので・・諏訪神社前から路面電車で浦上に戻りましょう!諏訪神社も詣でたかったけど。
 
それにもっと奥にはシーボルト記念館・・う~ん,残念