2015.11/03〜04
日本衛生学会理事会で長崎〜で「ブラリひとり旅」〜3日には,グラバー園の後,大浦天主堂へ
【大浦天主堂は、長崎県長崎市にあるカトリックの教会堂で、1865年に建立された日本最古の現存するキリスト教建築物。正式名は日本二十六聖殉教者堂。その名のとおり日本二十六聖人に捧げられた教会堂で、殉教地である長崎市西坂に向けて建てられている。 1953年に国宝に指定された。】だそうです。
【観光客の増加に伴い、1975年(昭和50年)に、天主堂に登る石段横の隣接地にカトリック大浦教会が建てられ、毎日のミサは大浦教会で行われている。】とのことです。
しかし,中に入れば,敬虔な気持ちになれます。
【1865年3月17日(元治2年2月12日)、浦上(長崎市)の住民十数名が天主堂を訪れた。そのうちの4、50歳くらいの女性がひとり、祈っていたプティジャンに近づき、「私共は神父様と同じ心であります」(宗旨が同じです)とささやき、自分たちがカトリック教徒であることを告白した (この女性の名は、イザベリナ杉本百合だったと言われている)。彼らは聖母像があること、神父が独身であることから間違いなくカトリックの教会であると確信し、自分たちが迫害に耐えながらカトリックの信仰を代々守り続けてきたいわゆる隠れキリシタンである事実を話し、プティジャン神父を喜ばせた。その後、プティジャン神父は密かに浦上や五島などに布教を兼ねて隠れた信者の発見に努め、浦上だけでなく長崎周辺の各地で多くのカトリック教徒が秘密裏に信仰を守り続けていたことがわかった。この「信徒発見」のニュースはやがて当時の教皇ピオ9世のもとにもたらされた。教皇は感激して、これを「東洋の奇蹟」と呼んだという。この日は現在カトリック教会では任意の記念日(祝日)となっている。】というようなエピソードがあるそうです。

そして4日・・実は正式名は日本二十六聖殉教者堂というのは滞在中は知らなかったのですが,理事会の後,長崎駅に行って・・少し時間があったので日本二十六聖人殉教地・記念館にも訪れました。きちんとリンクしていました。
公園という広場ですが,豊臣秀吉の禁教令によって京都や大阪で捕えられた26人のキリシタンが殉教した丘だそうです。
今は静置として国際的な巡礼地になっているそうです。
  
1637年・・のフィリピン人初の殉教者だそうですが,関ヶ原の37年後・・・時代が交錯します。
ここに大きなクスノキの根があって・・直接関係ないけど・・という説明版,で,そこに隠れ切支丹の部落の様子がミニチュアでジオラマのようになっていて,なんだか涙ぐみそうでした。
長崎は,隠れ切支丹や原爆や,さらに鎖国時代の欧州との窓口(出島)や・・いろんな風土に彩られているのですね。
殉教地としての塔もあります。
すぐお隣には,長崎平和資料館ってのもありました(外観だけの紹介ですが)
記念館も入る時間的な余裕がなかったので・・
  
広場は・・それでも公園です。
そして近くの教会も見えています。
ただ,近くには大きな観音像(?)もあったり・・そしてここは米蔵跡だそうです。