2015.10/18
第77回日本血液学会の最終日・・ポスター発表は前日,終了していましたが,AM〜PMと骨髄腫セッションで勉強していました。多くの基礎研究では,樹立した細胞株も多く使われていてとっても嬉しく思いましたが,旧知の先生方も,大槻は血液から離れているって思われているだろうから,座席の片隅に樹立者が座っていたとは思われなかったでしょうね・・。
で,ランチタイムに北鉄金沢駅から内灘へ。河北潟と金沢港を結ぶ川なのか運河なのかを越えて,17分の旅です。
そして内灘海岸!

青い海と空です。
五木寛之氏の「内灘夫人」を,多分高校の頃に読んで・・・一度は来てみたかったところです。
あら,遠くに金沢医科大学が見えています〜っていうか,内灘町にあるのですね,知らなかったです。
    
そして,内灘夫人の背景にもなった内灘闘争!
【1952年朝鮮戦争のため、アメリカ軍の砲弾の需要が大きくなり日本国内のメーカーから納入される砲弾の性能を検査するための試射場が必要となった。試射場には長い海岸線をもつ場所が適しており静岡県の御前崎周辺と、この内灘砂丘が候補となり、最終的に内灘に決定された。これに対して村議会は反対決議を行い、北陸鉄道労組は浅野川線で行われる資材搬入に対してストライキを行うなどの支援を実施した。政府は石川県選出の参議院議員林屋亀次郎を接収担当の国務大臣として説得に当たらせた。1953年の参議院選挙で、接収反対を掲げた井村徳二が林屋を破って当選したが、当時井村は金沢市片町で大和百貨店を経営しており一方林屋も同市武蔵ヶ辻で同業の丸越百貨店を経営していたことから『武蔵大和の日本海決戦』という言葉で白熱した選挙戦となった。闘争は1957年のアメリカ軍撤収で終息したが、「鉄板道路」や、着弾地観測場遺跡などに試射場時代の面影が残る。】なのです。
今は穏やかな遊歩道になっています。
歩かれている高齢の男性も結構いらっしゃいました。
常緑樹が多い様ですが,それでも秋の気配も
本当は,内灘大橋まで行きたかったので,このあたりで鉄板道路を降りたのですが・・・遠い,遠い! 実際には2km以上くらいあったようで・・諦めました(午後のセッションに間に合わなくなる)
   
で,少し道に迷いながら・・内灘駅に戻りますが,途中の町並みや公園
それでも秋を満喫ですかしら・・
で,内灘駅にたどり着いたら・・・なんと駅前広場で,人前結婚式!
お幸せにってことですね。
  
さて,帰路・・再び,河北潟と金沢港を結ぶ川/運河の上を抜けて・・・
  
北鉄金沢駅にもどったら,挙式へのお祝いメッセージもありました。