2015.8/24
日本臨床環境医学会の会議が北里研究所病院の会議室でありました。
   
薬学部の校舎の新築,さらに工事もされていて,昔あったキャンパスの広場はなくなっちゃっています。そして北里・コッホ神社も移転しています。
何故か仙台のお菓子も・・
 

10時からの会議で,のぞみでは,ギリギリになりそうなので(白金高輪駅から徒歩少しありますし),JALで往復しました。非常に順調で,早く到着!
 
なので,京急を泉岳寺で降りて・・三田台公園に向かいました。
そうなんです,一度,来たこともあったのですが,貝塚跡です。
三田台〜高輪台〜白金台当たりの台地から,品川にかけては結構急斜面ですものね!
でも,この住居を模した建物の中のジオラマ風の生活風景は,前,知らなかったかと・・・
どにょり曇っていますが・・・
井戸もあります。明治〜大正年間の井戸らしいです。
さぁて・・・後は北里研究所病院に向けて進みましょう!
三田って古い地名なんだ!


そこから幽霊坂を降りていきます(三田〜白金〜恵比寿に続く低地の部分です)
魚藍坂の東の幽霊坂を降りる途中に・・・お寺がいっぱいの町並みです。途中の「御化粧延命地蔵尊【八丁堀の地蔵橋畔に放置されていたものを住職格翁宗逸和尚が修復、またこの地蔵が大変泥にまみれているのを不憫に感じた住職が白粉を塗って祭ったところ、和尚の顔面の痣が消えたので人々が病気のあるところと同じ部分に白粉を塗って祈願するようになったといわれる。「化粧延命地蔵(おしろい地蔵)」の名称で港区の有形民俗文化財に登録されている。】」だそうです!
  
そして,五差路みたいになっている・・白金高輪駅の上・・
  

会議が長引くかなぁって思っていましたが,きっちり12時には終了・・JALだったので,出発は16時台・・・「ちょっと寄り道/ブラ@タケミ」しましょう!
仏・独・中国大使館別館などを抜けて,有栖川宮記念公園へ〜また台地に登る感じです。
   
以前も北里研究所病院のキャンパスで学会があった時にも訪れましたが・・・。
【この地は、江戸時代、盛岡南部藩の下屋敷として使われていました。そして1896年(明治29年)、有栖川宮威仁親王の栽仁王新邸造成の御用地となります。】だそうです。緑が深い季節です。和流もあり,そして大使館などが多いので,フォーリナーさんがいっぱい!
挽歌は,緑が深い!
台地の斜面が庭園として使われていますね。
結構,広いですね!
このあたりには,他にも大使館が多くって・・・外人さんが沢山です。
兄弟かな,ザリガニを採っていました。
さて,池の方へ・・
ここでも外人さん家族が・・魚を採っている?
あら,シオカラトンボ・・・
水鳥たちも・・
緑の中に百日紅
なんだかすごく静かな時間です。
台地を利用しているので・・滝も
そろそろぐるりとしましたね!
まだ時間があるけど・・そろそろ移動かなぁ・・
   
南部坂ですね
  

では恵比寿に向かおうって・・外苑西通りを超えて,広尾商店街の広尾散歩通り・・の突き当たりに瑞泉山祥雲寺さん!
【渋谷区第一の巨刹であり、江戸時代初期に筑前福岡藩主・黒田忠之が、黒田藩赤坂江戸中屋敷内に父の黒田長政を弔うために建立したのが始まり。以後、広尾に寺地を移転する。 福岡藩や黒田氏に縁のある数々の大名家や武家の墓所となっていることで知られる。】。山門を入って関連寺院もいくつか・・。瀟洒な寺院です。
墓所も含めて広い敷地です。
お庭も丁寧に設えてあります。
都心ですけれど・・・それを忘れます。
落ち着いた雰囲気です。
   
さて。。案内板を読んでいたら墓参の方がどうぞ,入って行かれたらっておっしゃって下さったので・・
  
黒田長政公の墓所です。
    
そして,多くの大名の墓・・・・
この墓所はなかなか見ごたえがありますね
百日紅
さらに,鼠塚〜鼠塚 - 明治33年(1900年)のペスト流行の際駆除された鼠を慰霊するため、明治35年(1902年)建てられた。
 
さて,恵比寿の駅に向かって歩きましょう! 結局,泉岳寺駅から・・・恵比寿まで,今日も結構徒歩しました。